「感謝の気持ちを」
3年 マネージャー兼学連
笠原 惇
こんにちは。
3年マネージャーの笠原と申します。
この度はこのような機会を設けていただき誠にありがとうございます。
まず、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。
千葉県の八千代松陰高校出身です。小学2年生から高校3年生までの11年間は私も選手としてサッカー漬けの毎日を送っていました。
しかし、高校の3年間でAチームの公式戦のピッチに立ったことは一度もありません。
それどころかベンチに入ることができたのも一度きりのことでした。
お世辞にも充実したと言えるサッカー人生を送ってこなかった私ですが、
小さい頃から思い描いていた“サッカーを職にしたい”という想いが消えることはありませんでした。
寧ろ、高校時代に選手としての限界を突きつけられたことでより一層、選手以外でのサッカーへの関わり方を深く考えるようになり、
そのことが現在の自分を作り出しているのだと思います。
日本トップレベルの大学の体育会サッカー部の学生スタッフとなること、
それが当時の私が考え得る夢への1番の近道でした。
右も左もわからない状況でしたが、
夢を叶えたい一心で明治大学体育会サッカー部の門を叩きました。
2ヶ月ほどの試用期間を経て、創部初となる男子マネージャーとしての入部を認めて頂けることができました。
入部のきっかけこそ、サッカー界で働きたいという自分の夢のためではありましたが、
現在の自分の仕事に対する思い、考え方は違います。
まず、様々な活動を通して自分も明治大学体育会サッカー部の部員であるという自覚を持ったことにより、仕事への責任感が生まれていること。
また、本来であれば自分が経験することなどができなかった日本一になる経験ができたことや、こんな自分にもその一員であると心から実感させてくれる明治大学体育会サッカー部という組織に対する感謝の気持ち。
この感謝の気持ちから、如何に自分が役に立てるか、恩返しができるのか、そのようなことを考えるようになりました。
その中で私は、学連という立場から
選手のみんなに最高の舞台でプレーをしてもらう。
という結論に至りました。
すでに昨日から始まっているインカレ、
私は皆より一足早く運営が始まっています。
学連である私は問答無用で決勝までインカレは続きます。
今シーズン、最後まで皆と共に活動ができると信じております。
そして今大会、自分が演出を担当した決勝で、皆んなと最高の瞬間を迎えるために今日も準備して参りたいと思います。
稚拙な文書ではありましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
いよいよ、12月10日(土)より今シーズン最後の大会インカレが始まります。
是非とも会場にお越しください。
ご来場お待ちしております。
2016年12月8日木曜日
I play for 4年生
「I play for 4年生」
3年 山崎浩介
あと2週間も無いのか、あっという間。
最近4年生といるとつい思ってしまう。
一緒にいた3年間は長いようで本当に短かった。
まず仕事から教わり、恒例の校歌と部歌のテスト。
4年生(当時2年生)は仕事が出来ず髪の毛が無くなりなり、外出禁止にもなってしまう。徐々に嫌な雰囲気が寮内に漂っていくのを感じた。それでもSNSにふざけてる写真載せちゃったり、ミーティングで同期で言い合ってるのも側で見てきた。自分達も仕事の事で集められ叱られたこともよくあった。だけど仕事交代を告げられた時のみんなの表情は今でも忘れられない。あの時はきついことがたくさんあったけれど今は全部が良い思い出。
個性それぞれの4年生がいると寮はいつも賑やか。むしろうるさい笑
1人がイジるとみんなそれに乗っかって全員でイジったり、後輩が大好きでいちいち絡んできたり、毎回イベントごとに集合写真を撮ったり、合宿のときには4年全員で露天風呂入ったり、こんなにも仲の良い学年がいなくなると思うと今となっては正直寂しい。
そんな4年生が「一心」というスローガンを掲げ、最終学年となった今年。
上級生という立場でより身近になった分、学ぶべき点が多かった。
取り組む姿勢、三原則の部分やプレーの質はもちろんだが、トレーニングのメニュー間や休憩してる時の周りからの声、ポジティブな声かけなどそういう些細な発信をすることが雰囲気を変えたり、試合でちょっとした差に出るんだなと気づかされた。
ミーティングの内容も変わった。下級生が発言しやすいようにしてくれたり、チーム全体としてより意思統一が出来るようになった。
今季のターニングポイントとも言える天皇杯予選の立正大戦に敗れた後の4年生ミーティングで泣いている人もいるのを見て、同期で言い合える大切さ、しかも最上級生が本音で言い合える集団て大事だなと感じた。
このような積み重ねが今年のチームを一つに築き上げ、ここまで二冠出来た一つの要因だと思う。
あっという間に4年生と一緒にプレー出来る時間はもう限られてきてしまった。もっと一緒にサッカーしたいし、もっとふざけ合ったり、笑いあったりしとけばよかったという後悔もまだまだあるが、今までの3年間の感謝を胸に秘めて、後の残り少ない時間を大切にしたい。
三冠まであと一冠。
総理大臣杯、リーグ戦で優勝したときのあの4年生の涙、笑顔がまた見たい。
最後にまた全員で喜び合いたい。
その為に全員で最高の準備をしよう!!
3年 山崎浩介
あと2週間も無いのか、あっという間。
最近4年生といるとつい思ってしまう。
一緒にいた3年間は長いようで本当に短かった。
まず仕事から教わり、恒例の校歌と部歌のテスト。
4年生(当時2年生)は仕事が出来ず髪の毛が無くなりなり、外出禁止にもなってしまう。徐々に嫌な雰囲気が寮内に漂っていくのを感じた。それでもSNSにふざけてる写真載せちゃったり、ミーティングで同期で言い合ってるのも側で見てきた。自分達も仕事の事で集められ叱られたこともよくあった。だけど仕事交代を告げられた時のみんなの表情は今でも忘れられない。あの時はきついことがたくさんあったけれど今は全部が良い思い出。
個性それぞれの4年生がいると寮はいつも賑やか。むしろうるさい笑
1人がイジるとみんなそれに乗っかって全員でイジったり、後輩が大好きでいちいち絡んできたり、毎回イベントごとに集合写真を撮ったり、合宿のときには4年全員で露天風呂入ったり、こんなにも仲の良い学年がいなくなると思うと今となっては正直寂しい。
そんな4年生が「一心」というスローガンを掲げ、最終学年となった今年。
上級生という立場でより身近になった分、学ぶべき点が多かった。
取り組む姿勢、三原則の部分やプレーの質はもちろんだが、トレーニングのメニュー間や休憩してる時の周りからの声、ポジティブな声かけなどそういう些細な発信をすることが雰囲気を変えたり、試合でちょっとした差に出るんだなと気づかされた。
ミーティングの内容も変わった。下級生が発言しやすいようにしてくれたり、チーム全体としてより意思統一が出来るようになった。
今季のターニングポイントとも言える天皇杯予選の立正大戦に敗れた後の4年生ミーティングで泣いている人もいるのを見て、同期で言い合える大切さ、しかも最上級生が本音で言い合える集団て大事だなと感じた。
このような積み重ねが今年のチームを一つに築き上げ、ここまで二冠出来た一つの要因だと思う。
あっという間に4年生と一緒にプレー出来る時間はもう限られてきてしまった。もっと一緒にサッカーしたいし、もっとふざけ合ったり、笑いあったりしとけばよかったという後悔もまだまだあるが、今までの3年間の感謝を胸に秘めて、後の残り少ない時間を大切にしたい。
三冠まであと一冠。
総理大臣杯、リーグ戦で優勝したときのあの4年生の涙、笑顔がまた見たい。
最後にまた全員で喜び合いたい。
その為に全員で最高の準備をしよう!!
気づく大切さ
気づく大切さ
3年 長津大祐
私は、昔から物事を考えずに目の前の事だけを考えて生きていたと大学に来て痛感しました。一年生の時の雑務や上下関係の厳しさは高校時代に主将をやっていて自分の中ではわかっているつもりでした。
大学入学後、当番や夜当という仕事があり、なんだこの仕事の量はと正直驚きを隠しきれませんでした。最初はすぐにできると思い次の日を待つだけの毎日でしたが同期や先輩方に長津、長津、長津…と何度も呼ばれなぜできないのか悩む日もありました。二年生になり下級生ができると責任感が少し芽生え自分の中で変わらないといけないと言う思いが生まれました。しかし、心の中にいるもう1人の弱い自分が出てきてしまい、手を抜いたり、バレなければいいという行動が出てしまい同期に迷惑をかけた事は一生忘れません。ここで普通ならあいつなんかもういいだろ、ほっとこうぜとなる集団もあるかもしれません。社会に出ればそれが当たり前の世界だと今は気づいていますが、あの頃はまだ気づいていませんでした。先輩方に気づかされ、同期に気づかされる内に自分のダメな所が少しずつわかってきました。中学と高校では気づけない大事な事を気づかせてくれる明治大学体育会サッカー部の組織に感謝し、これからは自分で先に気づき周りに気づかせられる存在になれるように残りの時間を大切に一心になってプレーしていきたいと思います。
3年 長津大祐
私は、昔から物事を考えずに目の前の事だけを考えて生きていたと大学に来て痛感しました。一年生の時の雑務や上下関係の厳しさは高校時代に主将をやっていて自分の中ではわかっているつもりでした。
大学入学後、当番や夜当という仕事があり、なんだこの仕事の量はと正直驚きを隠しきれませんでした。最初はすぐにできると思い次の日を待つだけの毎日でしたが同期や先輩方に長津、長津、長津…と何度も呼ばれなぜできないのか悩む日もありました。二年生になり下級生ができると責任感が少し芽生え自分の中で変わらないといけないと言う思いが生まれました。しかし、心の中にいるもう1人の弱い自分が出てきてしまい、手を抜いたり、バレなければいいという行動が出てしまい同期に迷惑をかけた事は一生忘れません。ここで普通ならあいつなんかもういいだろ、ほっとこうぜとなる集団もあるかもしれません。社会に出ればそれが当たり前の世界だと今は気づいていますが、あの頃はまだ気づいていませんでした。先輩方に気づかされ、同期に気づかされる内に自分のダメな所が少しずつわかってきました。中学と高校では気づけない大事な事を気づかせてくれる明治大学体育会サッカー部の組織に感謝し、これからは自分で先に気づき周りに気づかせられる存在になれるように残りの時間を大切に一心になってプレーしていきたいと思います。
2016年12月4日日曜日
私の誇り
私の誇り
3年 大橋奈菜恵
こんにちは。3年マネージャーの大橋奈菜恵と申します。今回は、このような機会を設けていただき、ありがとうございます。
私は栃木県出身で、小学校4年生から高校3年生までバレーボールに所属し、高校時代は部長を務めました。大学で何をしようか考えていた時に、高校2年生から同じクラスで仲の良かった、同期のマネージャーである高槻からサッカー部のことを聞き、全国レベルで頑張る選手を支えたい!と強く思い、サッカー部のマネージャーになることを決めました。
明治のマネージャーの決まりごととして、
茶髪、ネイル、ピアスは禁止されています。朝は5:30にグラウンドに向かい、練習中は10キロ以上の水を担いで、選手に水を渡します。雨の日も雪の日も、どんなに風が強くても自分の担当の練習にいき、選手をサポートします。
その話をすると、色々な人に、なんでマネージャーやっているの?大変じゃないの?と聞かれます。
私は大変だと思ったことはないです。
髪を染めたりネイルをしたり、平日に遅くまで友達と遊んだり、夏休みには旅行に行ったり。。大学生が当たり前のようにできる事は出来ないかもしれません。でもそれ以上に、体育会サッカー部じゃなかったら、出来なかった事、経験できなかった事の方が沢山あると自信を持っていう事ができるからです。
本気で日本一になりたいと思うことも、
日本一になるのがどれだけ大変か知ることも、本当に日本一になることも、
サッカー部じゃなかったら出来ない経験でした。部員は、背が高くて体がゴツくて、集団でいると怖そうに見えるけど、みんな優しくて面白くて、可愛い一面があるということも知る事ができなかったかもしれません。こんなにも素敵な先輩、同期、後輩に出会う事ができて、私は本当に幸せです。
日本一になる事がどれだけ難しく、努力のいるものであるか、選手を近くで見てきたからこそよくわかります。でも今の明治サッカー部は3冠をとるための準備ができていると思います。
大好きなこのメンバーで、日本一になる瞬間をもう一度見たいです。
インカレは4年生のマネージャーがベンチに入ります。3年生である私にできる事は、選手を信じる事と、最高のマネージャー日記を更新する事だと考えています。微力かもしれませんが、選手のためにできる精一杯のサポートをしていきたいと思います。そして来シーズンは、最高学年として、同期の高槻と最高のマネージャーになりたいと思います!今後も、明治大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願い致します!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
マネージャーって不思議
「マネージャーって不思議」
3年 高槻朱香
はじめまして。3年マネージャーの高槻朱香です!せっかくのこの機会に、「マネージャー」という集団について書かせていただきたいと思います。
明治大学サッカー部では、マネージャーが良い意味で独立しています。監督やコーチからこの仕事をやるように言われたりすることも特にありません。つまり、私たちは必要だと思えば仕事を増やすことも、いらないと思えば仕事を削ることもできるのです。仕事の枠が決まっていないため、チームから信頼してもらえれば、より多くのことを任せてもらえるようになります。
実際に、私が1年生の時に比べて、今は仕事が多様化しています。集中応援の企画に関わらせてもらったり、部員の体重などのデータ管理も任せてもらえるようになりました。これは、先輩マネージャー達が努力し、少しづつ信頼を得てきた結果だと思っています。
ここで、高校までの私について少しだけお話しします。
朝がとんでもなく苦手で毎日母に起こしてもらい、周りに気を使うということも特に意識せず、家事も積極的に手伝うことはない。ひどい生活ですね。
そのおかげで、大学入学当初はかなり苦労しました。起きるには爆音の目覚まし2つにスマホのアラームを5分おきに1時間セット、洗濯機は引越しの日に母に使い方を教えてもらい、カレーを作ろうとしたら鍋から50cmくらい火柱があがった、という感じです。部員のお世話なんかできていなかったと思います。
そんなダメダメな私でしたが、先輩たちからたくさんのことを学び、同期の大橋の優しさに助けられながら、なんとかここまで来ることができました。
なんだか偉そうに書いてきてしまったような気もしますが、私自身まだまだ立派なマネージャーとは言えません。いまだに失敗もするし、先輩や同期から指摘されることもあります。でも、見違えるほど立派になったね、と言われるくらいに成長したいです。
マネージャーって不思議です。決められた仕事はないし、いなくてもサッカーはできます。しかも、いたからといって試合の勝敗に直結することもありません。でも、だからこそ、「マネージャーの力があったから勝てたよ」と心から思ってもらえるような存在にならなければと思っています。
今年もインカレを残すのみとなりました。私たちの仕事は、優勝に相応しい努力をしてきた選手たちの背中を、最後の最後まで押し続けることです。少しでも長く、大好きなみんなの必死に戦う姿を見たい、見られると信じています!!
会場で、応援してくださる沢山の方にお会いできることを楽しみにしております。
最後までご拝読いただき、ありがとうございました!
3年 高槻朱香
はじめまして。3年マネージャーの高槻朱香です!せっかくのこの機会に、「マネージャー」という集団について書かせていただきたいと思います。
明治大学サッカー部では、マネージャーが良い意味で独立しています。監督やコーチからこの仕事をやるように言われたりすることも特にありません。つまり、私たちは必要だと思えば仕事を増やすことも、いらないと思えば仕事を削ることもできるのです。仕事の枠が決まっていないため、チームから信頼してもらえれば、より多くのことを任せてもらえるようになります。
実際に、私が1年生の時に比べて、今は仕事が多様化しています。集中応援の企画に関わらせてもらったり、部員の体重などのデータ管理も任せてもらえるようになりました。これは、先輩マネージャー達が努力し、少しづつ信頼を得てきた結果だと思っています。
ここで、高校までの私について少しだけお話しします。
朝がとんでもなく苦手で毎日母に起こしてもらい、周りに気を使うということも特に意識せず、家事も積極的に手伝うことはない。ひどい生活ですね。
そのおかげで、大学入学当初はかなり苦労しました。起きるには爆音の目覚まし2つにスマホのアラームを5分おきに1時間セット、洗濯機は引越しの日に母に使い方を教えてもらい、カレーを作ろうとしたら鍋から50cmくらい火柱があがった、という感じです。部員のお世話なんかできていなかったと思います。
そんなダメダメな私でしたが、先輩たちからたくさんのことを学び、同期の大橋の優しさに助けられながら、なんとかここまで来ることができました。
なんだか偉そうに書いてきてしまったような気もしますが、私自身まだまだ立派なマネージャーとは言えません。いまだに失敗もするし、先輩や同期から指摘されることもあります。でも、見違えるほど立派になったね、と言われるくらいに成長したいです。
マネージャーって不思議です。決められた仕事はないし、いなくてもサッカーはできます。しかも、いたからといって試合の勝敗に直結することもありません。でも、だからこそ、「マネージャーの力があったから勝てたよ」と心から思ってもらえるような存在にならなければと思っています。
今年もインカレを残すのみとなりました。私たちの仕事は、優勝に相応しい努力をしてきた選手たちの背中を、最後の最後まで押し続けることです。少しでも長く、大好きなみんなの必死に戦う姿を見たい、見られると信じています!!
会場で、応援してくださる沢山の方にお会いできることを楽しみにしております。
最後までご拝読いただき、ありがとうございました!
2016年11月21日月曜日
禍福は糾える縄の如し
禍福は糾える縄の如し 3年 土居柊太
『禍福は糾える縄の如し』これは高校時代の恩師が教えてくれた言葉であり、私が最も大事にしている言葉だ。
幸福と不幸は表裏一体でかわるがわる訪れるものという意味の言葉だ。
しかし私は1日のすべての行いが後の、幸福にも不幸にも繋がっていると捉えている。
毎日の練習も、食事も仲間とのたわいもない会話さえも、目標を達成するその日に繋がっている。だから1つたりとも妥協は許されない。
明治大学にとっても三冠を達成するための途中にすぎない。過去の栄光にすがり、甘さや妥協が出ると目標には届かないだろう。
インカレ優勝、三冠達成。1日1日がその日に繋がっていることを意識し、もう1度チーム全員で喜びを分かち合いたい。お世話になった4年生のために。
『禍福は糾える縄の如し』これは高校時代の恩師が教えてくれた言葉であり、私が最も大事にしている言葉だ。
幸福と不幸は表裏一体でかわるがわる訪れるものという意味の言葉だ。
しかし私は1日のすべての行いが後の、幸福にも不幸にも繋がっていると捉えている。
毎日の練習も、食事も仲間とのたわいもない会話さえも、目標を達成するその日に繋がっている。だから1つたりとも妥協は許されない。
明治大学にとっても三冠を達成するための途中にすぎない。過去の栄光にすがり、甘さや妥協が出ると目標には届かないだろう。
インカレ優勝、三冠達成。1日1日がその日に繋がっていることを意識し、もう1度チーム全員で喜びを分かち合いたい。お世話になった4年生のために。
環境の変化
「環境の変化」 3年 鳥海晃司
こんにちは。
千葉から来ました鳥海晃司です。
Jの下部組織出身の僕は学校帰りにクラブの練習場まで行き、19時から練習をこなし、夜ご飯やお風呂などクラブで済ませ帰宅は毎日23時過ぎでした。
高校は練習場の近くに通学していた為、朝早くに家を出て通っていました。
授業中は常に眠たくて何度も寝落ちしてしまったのを覚えています。
明治に入学してから今までの僕と全く逆の生活になりました。
明治の練習は朝6時と8時から練習です。
練習が終わってから授業に行き、次の日も朝練の為、早めに寝るようになりました。
今は朝に練習することによって夜は自分の時間が増え、早く寝たり時間をコントロールできるようになり、サッカーだけではなくしっかり勉強にも取り組むことができ、順調に単位も取得できました。
あと3週間でインカレが始まりますが、試合を観てくれている人に感動を与えられるよう、そして3冠を取れるように謙虚にチーム一丸となって闘っていきますので応援よろしくお願いします。
関東リーガーとしての飛躍と学生としての飛躍、文武両道を心掛けていきたいです。
2016年11月1日火曜日
感謝の気持ちを表現。
「感謝の気持ちを表現。」 3年 田邉真之介
私は明治大学体育会サッカー部に入部して3年が経とうとしている 。 この3年間でチームにとっても自分自身にとっても様々なことがあ った。 その1つ1つに感謝の気持ちを示さなければいけないと感じている 。
チームに目を向けてみるとこの3年間の中で過去の2年間は、 総理大臣杯準優勝、2度のリーグ戦2位、 インカレ3位など後一歩のところで優勝という二文字を手に入れるこ とはできなかった。
だが今年は総理大臣杯優勝、 リーグ戦史上最速優勝と過去の2年間の鬱憤を晴らすかのようにタ イトルを手にすることができている。 なぜタイトルをすることができたのか。
それはそのピッチに立っていた選手達が素晴らしいプレーをしたの は勿論だが、 それを支えてくださっている様々な方々がいたからこその優勝で、 この先もタイトルを獲得していくことが今までの明治を築きあげて くださったOBの方々への感謝、恩返しだと感じている。
だが自分自身に目を向けてみるとタイトルを獲得した試合のピッチ に一度も立っていない。 チームとしては優勝を手に入れているが私は応援という立場で優勝の 瞬間に立ち会っている。 勿論チームとして誇らしいことではあるが、 自分自身に目を向けてみると悔しい気持ちの方が大きい。
この3年間怪我が多く、 人生初の手術も経験し納得のいくシーズンを送れていない。 だがどんなときも変わらず応援をしてくれ、 支えてくれている両親、 マネージャー日記で私の近況をいつも確認して応援をしてくれてい る祖母、 どんなときも相談に乗ってくれる地元の友人などその人たちの為に も必ず公式戦のピッチに立ち感謝の気持ちを表現することが少なか らずの恩返しだと思っている。
最低3試合。最高6試合。
「最低3試合。最高6試合。」 3年 柴戸海
最低3試合。最高6試合。
これは今年、まだこのチームで戦うことのできる公式戦の数だ。リーグ戦残りあと2節。それに加え、負けたら終わりのインカレ。どちらにせよ、このチームでプレーできるのも残りわずかとなってしまった。
来年になれば、もう二度とこのチームで戦うことは無い。このチームで戦えることがどれだけ幸せなことなのか。そう考えれば、日々の練習や生活をより一層大切にできるのではないだろうか。
2冠が決まった今、"打倒明治"を掲げ、分析し、対策を練って挑んでくるであろう他大学を相手に3冠を取ってこそ、真の強さを証明できたことになるのではないか、と思っている。
話は変わるが、年内に成し遂げたいことがある。
それは、高校の時から5年間お世話になっている小出悠太を漢にすることだ。
彼が後ろにいる安心感で自分は自由にプレーできた。それにより、自分の長所を発揮することができ、成長できたと言っても過言ではない。
だからこそ、最大限の感謝の気持ちを持って、3冠という形で恩返しをしたい。
そして、再来年は彼の待つ、プロのステージで対戦相手として戦いたい。
最後になったが、インカレ優勝の為、チームの為に残りわずかな時間を後悔しないよう過ごしていきたい。
P.S
皆さま、応援よろしくお願いいたします!
最低3試合。最高6試合。
これは今年、まだこのチームで戦うことのできる公式戦の数だ。リーグ戦残りあと2節。それに加え、負けたら終わりのインカレ。どちらにせよ、このチームでプレーできるのも残りわずかとなってしまった。
来年になれば、もう二度とこのチームで戦うことは無い。このチームで戦えることがどれだけ幸せなことなのか。そう考えれば、日々の練習や生活をより一層大切にできるのではないだろうか。
2冠が決まった今、"打倒明治"を掲げ、分析し、対策を練って挑んでくるであろう他大学を相手に3冠を取ってこそ、真の強さを証明できたことになるのではないか、と思っている。
話は変わるが、年内に成し遂げたいことがある。
それは、高校の時から5年間お世話になっている小出悠太を漢にすることだ。
彼が後ろにいる安心感で自分は自由にプレーできた。それにより、自分の長所を発揮することができ、成長できたと言っても過言ではない。
だからこそ、最大限の感謝の気持ちを持って、3冠という形で恩返しをしたい。
そして、再来年は彼の待つ、プロのステージで対戦相手として戦いたい。
最後になったが、インカレ優勝の為、チームの為に残りわずかな時間を後悔しないよう過ごしていきたい。
P.S
皆さま、応援よろしくお願いいたします!
感謝
「感謝」 3年 柴田はじめ
三年の柴田はじめです。
あっという間だったこの3年間を振り返りながら、自分なりの「感謝」について書いていきたいと思います。
少し長いですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
「感謝」の気持ちを1番感じたのは、脚と肩の怪我で長期離脱をした期間でした。
私は2度の入院、手術とリハビリにより、約15ヶ月間サッカーをする事が出来ませんでした。3年間の内、半分はリハビリ生活でした。
入院期間には、母が大阪から足を運んでくれ、何から何までしてくれました。
約3年前の1月に親元を離れ、この明治大学サッカー部寮に入寮して以来、私なりに分かっていたつもりの親の有り難みを改めて痛感した事を今でも覚えています。
親だけではなく、想像以上にたくさんの方がお見舞いに来てくださり、私を励ましてくれました。連絡をくれる方も居ましたし、多くの人が私を気にかけてくれ、私は幸せ者なのだと感じました。
しかし、退院して寮に戻ってからというもの、リハビリは地道なメニューばかり。
サッカーは出来ないので、ピッチの外からみんなを眺める時間が自然と増えました。
術後当初は、考えもまだまだ未熟で、なかなか前向きになれませんでした。
週末に近づけば近づく程、補助学をしながらみんなの試合をする姿を観る機会が増え、サッカーへの気持ちが増す一方でした。
私生活もままならない状況で、あの頃は相当なストレスを抱えていましたし、本当にナイーブだったと思います。
ですが、この期間は無くてはならない時間だったと私は思っています。自分と向き合う時間が本当に増えたため、物事の本質を見ようとする感覚を身につけました。
他にも、食生活の改善、ケア、身体作り、自分は周りにどういう影響を与えられるのか。
あらゆる事に対して考える時間が増え、未熟だった考えも少しずつ変化が出てきました。
先ほど述べた、私を支えてくださった方以外にも、主治医の先生やトレーナーの方の熱心な治療やメニューにより、予定よりも早く復帰する事が出来ました。つい最近の9月に復帰しましたが、あの時の気持ちはこれからも忘れる事はないと思います。
ずっと外から眺めていた景色の中に自分が立っていて、プレーする事が出来る。
嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
「はじめ復帰おめでとう」と声をかけてくれる仲間。自分から報告する前に、自ら連絡を入れてくれた方。
「お兄ちゃん無理せんと頑張りや」と言ってくれる弟と妹。
「怪我に気をつけや」といつも私を気にかけてくれるおじいちゃんおばあちゃん。
復帰した事を伝えると、自分の事の様に泣いて喜んでくれる人も居ました。私は本当に幸せ物です。
人は「感謝」をすぐに忘れてしまいます。
特に私は。
私自身、余裕がない時や、上手くいかない事がある時には、自分でコントロールできず家族にひどい言葉を投げつけてしまう事もありました。もちろん家族以外にも。
そういう時は大抵、「感謝」の気持ちを忘れている事に後々気付きます。
それでも私が明治大学で勉学とスポーツの両方に取り組む事が出来ているのは、親の支えがあるからです。私をいつも支えてくれる親には、やはり感謝してもしきれません。
親だけでなく、共に闘う仲間、応援してくれる人の存在が、私の支えになっています。
私が、親や支えてくれる方に出来る1番の恩返しは、サッカーを一生懸命取り組む事です。
もちろんサッカーだけでなく、私生活も見つめ直さなければなりませんが。
地元大阪を離れている為、プレーでの活躍を親や地元のお世話になった方に見てもらう事はなかなか出来ませんが、私生活とピッチの両方で何事にも自分で考えて行動し、一生懸命取り組む事により、選手である以前に人間としての成長が見られます。それは何気ない行動、言動に現れ、自然と人に伝わると思います。そしてサッカーで結果を出す事が出来れば、この上ない喜びだと思います。
何事にも当たり前になってしまうと「感謝」する事を忘れてしまいます。
そして相手に求める事が多くなり、それが満たされないと、自分で気付かないうちに態度や行動に出ます。
当たり前にならないよう毎日を大切にし、私を支えてくれる多くの方への感謝の気持ちを忘れず、これからも成長して行きたいと思います。
三年の柴田はじめです。
あっという間だったこの3年間を振り返りながら、自分なりの「感謝」について書いていきたいと思います。
少し長いですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
「感謝」の気持ちを1番感じたのは、脚と肩の怪我で長期離脱をした期間でした。
私は2度の入院、手術とリハビリにより、約15ヶ月間サッカーをする事が出来ませんでした。3年間の内、半分はリハビリ生活でした。
入院期間には、母が大阪から足を運んでくれ、何から何までしてくれました。
約3年前の1月に親元を離れ、この明治大学サッカー部寮に入寮して以来、私なりに分かっていたつもりの親の有り難みを改めて痛感した事を今でも覚えています。
親だけではなく、想像以上にたくさんの方がお見舞いに来てくださり、私を励ましてくれました。連絡をくれる方も居ましたし、多くの人が私を気にかけてくれ、私は幸せ者なのだと感じました。
しかし、退院して寮に戻ってからというもの、リハビリは地道なメニューばかり。
サッカーは出来ないので、ピッチの外からみんなを眺める時間が自然と増えました。
術後当初は、考えもまだまだ未熟で、なかなか前向きになれませんでした。
週末に近づけば近づく程、補助学をしながらみんなの試合をする姿を観る機会が増え、サッカーへの気持ちが増す一方でした。
私生活もままならない状況で、あの頃は相当なストレスを抱えていましたし、本当にナイーブだったと思います。
ですが、この期間は無くてはならない時間だったと私は思っています。自分と向き合う時間が本当に増えたため、物事の本質を見ようとする感覚を身につけました。
他にも、食生活の改善、ケア、身体作り、自分は周りにどういう影響を与えられるのか。
あらゆる事に対して考える時間が増え、未熟だった考えも少しずつ変化が出てきました。
先ほど述べた、私を支えてくださった方以外にも、主治医の先生やトレーナーの方の熱心な治療やメニューにより、予定よりも早く復帰する事が出来ました。つい最近の9月に復帰しましたが、あの時の気持ちはこれからも忘れる事はないと思います。
ずっと外から眺めていた景色の中に自分が立っていて、プレーする事が出来る。
嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
「はじめ復帰おめでとう」と声をかけてくれる仲間。自分から報告する前に、自ら連絡を入れてくれた方。
「お兄ちゃん無理せんと頑張りや」と言ってくれる弟と妹。
「怪我に気をつけや」といつも私を気にかけてくれるおじいちゃんおばあちゃん。
復帰した事を伝えると、自分の事の様に泣いて喜んでくれる人も居ました。私は本当に幸せ物です。
人は「感謝」をすぐに忘れてしまいます。
特に私は。
私自身、余裕がない時や、上手くいかない事がある時には、自分でコントロールできず家族にひどい言葉を投げつけてしまう事もありました。もちろん家族以外にも。
そういう時は大抵、「感謝」の気持ちを忘れている事に後々気付きます。
それでも私が明治大学で勉学とスポーツの両方に取り組む事が出来ているのは、親の支えがあるからです。私をいつも支えてくれる親には、やはり感謝してもしきれません。
親だけでなく、共に闘う仲間、応援してくれる人の存在が、私の支えになっています。
私が、親や支えてくれる方に出来る1番の恩返しは、サッカーを一生懸命取り組む事です。
もちろんサッカーだけでなく、私生活も見つめ直さなければなりませんが。
地元大阪を離れている為、プレーでの活躍を親や地元のお世話になった方に見てもらう事はなかなか出来ませんが、私生活とピッチの両方で何事にも自分で考えて行動し、一生懸命取り組む事により、選手である以前に人間としての成長が見られます。それは何気ない行動、言動に現れ、自然と人に伝わると思います。そしてサッカーで結果を出す事が出来れば、この上ない喜びだと思います。
何事にも当たり前になってしまうと「感謝」する事を忘れてしまいます。
そして相手に求める事が多くなり、それが満たされないと、自分で気付かないうちに態度や行動に出ます。
当たり前にならないよう毎日を大切にし、私を支えてくれる多くの方への感謝の気持ちを忘れず、これからも成長して行きたいと思います。
2016年10月11日火曜日
とにかく準備するのみ!
3年 櫻井 敬基
リーグ戦首位。10連勝中!
今現在の、この結果は明大サッカー部全員が一心となり、「準備」している結果だと思う。
試合当日や前日だけでなく、試合が終わったその時から、もう次の試合の準備が始まっている。
それぞれが、日々の練習、ミーティングを通して、個人の役割を全うする。
トップ、セカンド、何連勝しているとか関係なく、とにかく週末のリーグ戦に勝利すると言う目標に向け、ぶれずに毎日しっかりと準備しているのだ。
そして、試合になったら、それぞれの役割を全力で出しきる!
そこが、明治の素晴らしいところであり、武器だと思っている。
私も自分自身の力を100%発揮させ、チームに貢献するために毎日必死だ。
いつチャンスが来るか、わからないしどこで必要とされるかもわからない。
しかし、その瞬間がいつきてもいいように私は準備をし続けたいと思う。
そして、その「準備するさまざまな力」は、今だけにとどまらず、将来に於いてもきっと役立つ学びだと確信している。
私は、そんな信念を持ち今日も準備する!
今季、笑顔で終われるように……。
2016年9月18日日曜日
自分の役割
「自分の役割」
3年 小池大佑
大学サッカーは学生が主体となって運営しており、明治大学体育会サッカー部でも全部員それぞれが大事な役割を持っている。下級生は寮の掃除や電話当番、買い出しなど様々な仕事をこなさなければならない。上級生になると各々が様々な役職を先輩から受け継ぎ、担当していく。例えば、会計、寮長、審判係、主務などである。その他にも、学連や体育会本部など部外の活動で貢献してくれている部員もいる。
サッカー選手としての成長はもちろん、人間性の向上を第一に掲げる明治大学体育会サッカー部にとって、オフザピッチの部分を疎かにせず厳しさを持って自分の役割を全うすることが重要であるということは全部員が認識している。
日々の練習だけでなく、そういった部分を諸先輩方が長年追求し続けてこられたからこそ今の好調があると確信している。常日頃から言われているが、本当に強いチームを作るには何年も努力を積み重ねる必要があるが、組織が弱くなり崩れるのは一瞬だ。
そうならない為にも、私は上級生として、そして副務としてチーム全体に目を配り、練習や私生活からいい影響を及ぼすことで、隙のない完璧な組織を目指していきたい。その意識で今から取り組むことで、来年度自分達が最上級生になった時に活きてくると思う。チームのことを一生懸命考え、自分達を引っ張ってくれている4年生の為にも自分の役割を全うし、今季の目標である三冠に貢献したい。
そして、このメンバーで必ず明治大学体育会サッカー部黄金時代を築き上げる。
2016年8月22日月曜日
我慢、努力
『我慢、努力』
3年 金原唯斗
どんなに大きな大木だって
どんなに綺麗な花だって
最初はみんな種だった
最初はみんな見えなかった
種はすぐには花にはならない
大きな木々にもなりはしない
焦らず急がずゆっくりと
土の中で待っていたんだ
いつか地上に出る!
いつか綺麗に咲く!
その事夢見て長い時をかけ
ずっとジッと待っているんだ
確かな栄養だけ吸収、確かな情報だけ収集
確かな『我慢』と確かな『努力』は
絶対無駄にはならない
今はまだ小さな蕾でも
今はまだ芽も出てない種でも
いつか必ず大きな大輪の
花を咲かすから大丈夫!
これは、ある歌の歌詞の一部である
怪我が多い私は、
行き詰まった時にこの曲を聴く
そしてこの曲に助けられている
サッカーを続ける力になっている
サッカーができない状況、
上手くいかず苦しい状況を
『我慢』し『努力』し続けることで、
必ず大きな『花』を咲かせてみせる。
2016年7月9日土曜日
総理大臣杯
「総理大臣杯」
僕は去年の夏の総理大臣杯でサッカー人生初の大怪我をした。
今までに疲労骨折などは経験した事はあったが、膝の怪我、そして半年以上の離脱をしたのは初めてだった。
最初の2、3ヶ月は正直リハビリに集中できず、ただサッカーがしたくてたまらなかった。
リハビリの途中で外の空気を吸いに行ったり、トレルーの窓から練習を見たりという日々が続いた。
4、5ヶ月で少しずつ動けるようにはなったものの逆に少し動けるようになったからボールを触ってみたいとかボールを蹴りたいという気持ちが出てきてとてもメンタルコントロールが難しかった。
ジョギング許可が出て初めて走った時は何か不思議で自分の体じゃないみたいで先が見えなかった。
そして、リーグ戦開幕!チームの雰囲気は良くてチームも好調。
正直自分が入って活躍できるのか不安になる時もあったが、今出来る事をやろうと思い、まず練習や試合を見てイメージトレーニングをした。
守備の確認であったり、シュートのイメージも動画を見たりして取り組んだが、見れば見るほどサッカーがしたいという気持ちが大きくなりとてももどかしい日々が続いた。
練習も部分合流をし始めた時は自分のイメージは良いが体がついてこない、集中力が維持できないという課題が出てきた。
まだまだ自分ではない気がして素直に受け入れられない時もあったが、同じポジションである拓也くん、詩温くんがチームのために身を削って走っている姿を見て、自分のやりたいプレーではなく、チームの為にプレーするという思考に強く変わった。
そういう2人の背中を見てこの数ヶ月で成長できたんじゃないかなと思う。
この10ヶ月本当に苦しい日々だったが自分の体を知れて、向き合うという時間がとても多くて貴重な期間だった。そして、色んな人に支えられ怪我という大きな壁を乗り越えられたと思う。だから次は、自分がチームの為に結果を残して恩を返したい。
そして、去年の総理大臣杯は個人としても、チームとしても苦い思い出がある。
その屈辱は、総理大臣杯でしか晴らせない。だから大阪の地で暴れたい。
そして、このチームで日本一になる。
2016年6月7日火曜日
「ケツ&モモ」
「ケツ&モモ」
このタイトル通り、私は「ケツ&モモ」が物凄くデカイ。
恐らく明治大学サッカー部で1番デカイだろう。
恐らく明治大学サッカー部で1番デカイだろう。
自分の「ケツ&モモ」がデカイと自覚したのは、高校1年の時だ。
ある日私はズボンを求め買い物に行った。
お店に入りズボンを物色していたら店員に声をかけられた。
君のサイズは27だねー!これ試着しよう!
と言われ試着室へ入った。店員に言われたサイズだから絶対だろう!と思い、いざ履こうと思った次の瞬間、、、
そう「モモ」で詰まったのだ。
このくだりを3〜4回は繰り返し、試着室で多量の汗を掻きながら試着した。
それでようやく私の「モモ」に見合ったズボンに出会えたのだ。
そのまま靴を履こうとして前かがみになった、次の瞬間、、、、ビッ‼︎ビビ‼︎と音がした。
そう「モモ」で詰まったのだ。
このくだりを3〜4回は繰り返し、試着室で多量の汗を掻きながら試着した。
それでようやく私の「モモ」に見合ったズボンに出会えたのだ。
そのまま靴を履こうとして前かがみになった、次の瞬間、、、、ビッ‼︎ビビ‼︎と音がした。
そう「ケツ」がズボンを突き破ったのだ。
この瞬間、私は自覚した。せざるを得なかったのだ。
「ケツ&モモ」がデカイ事を、、、
お陰様で、今では先輩に弄られるほどにまで「ケツ&モモ」は成長した。
ある人は私の事を、ケツ!!と呼ぶまでになった。
この愛くるしい「ケツ&モモ」は私の長所である、ヘディングを支えている。
今年は「ケツ&モモ」を存分に発揮し、明治のスローガンである"一心"を掲げ、明治魂溢れるプレーで観る人の心を熱くしたい。
今年は「ケツ&モモ」を存分に発揮し、明治のスローガンである"一心"を掲げ、明治魂溢れるプレーで観る人の心を熱くしたい。
2016年5月14日土曜日
博多の男
博多の男
3年 牛之濱容
3年 牛之濱容
博多の男
『牛之濵容』初対面でこの名前を言い当てることができた人は過去に1人もいない。きっとこれからもそうだろう。
「うしのはま いるる」このハプニングのような名前を抱え20年の人生を歩んできた。3歳上の兄の名は「うしのはまたく」という名字は別として名前はとてもシンプルである。そのせいか、私の親は兄が普通すぎた分のつけを弟である私の名前に込めたのだと私は勝手に解釈している。普通ならば名字の牛之濵だけでも珍しいはずなのに、それに満足しなかった親はいるるという名を私に授けた。一応、いるるという名前の由来を聞いたことがある。その由来というのは「寛容」という熟語から容(いるる)をとったものだということが分かった。いたって真面目でしっかり考えた挙げ句、容(いるる)と名付けたのだと思い安心したのを今でも覚えている。しかし、ここで一つだけ疑問がうまれる。容という漢字をどうしているると呼ぶのかという事だ。いるると打ち込み、変換キーを押しても当然、容という漢字はでてこない。その疑問というのは名付けた親でさえも首をかしげる事しかできない。
「うしのはまいるる」という名前で歩んできた私の人生は決して順風満帆ではなかった。物心がついた時、自分の名前に違和感を感じた当時の私は頭を抱えた。私が小学校に入学して間もない頃、私の名札を見た高学年の人たちに渡り廊下で爆笑された事もあった。中学生になり思春期を迎えた私は自分の名前を物凄く恥ずかしいと思った。いわゆる、コンプレックスというやつだ。「つよし」や「ひろと」などの男らしい名前に憧れを抱いた。しかし、思春期を過ぎた私は「牛之濵容」という名前が大好きになっていた。環境も変わり、なにより自分の中での考え方が大きく変化した。「牛之濵 容」という名前はおそらく世界に一人だけの名前で、″唯一無二″の存在であると確信したのだ。
私の呼ばれ方は、人それぞれである。基本はいるると呼ばれるが、イントネーションで2種類に分かれる。いるる⤴︎といるる⤵︎だ。これに関してはどうでもいい。クセのある人は、私のことを牛くんと呼ぶ。意外と嫌ではない。しかし、もっとクセのある人は「のはま」と呼ぶ。「うしのはまいるる」という文字なかで一番スポットライトがあたることのない「のはま」という部分をピックアップしてくるのだ。いるるでもなければ牛くんでもない。「のはま」である。
明治大学体育会サッカー部に入部してからというもの、もうすっかり3年生だ。1年生と2年生では試合に出場する機会も少なく、このチームに貢献できていないのが現状である。だからこそ今年、紫紺のユニフォームを纏い、今まで培ってきた明治スピリットをピッチ上で体現しなければならない。明治大学体育会サッカー部にとって私が″唯一無二″の存在であると確信させるその日まで ー 。
2016年4月10日日曜日
16人部屋
16人部屋
3年 石田貴俊
僕は16人部屋に住んでいるので16人部屋の良さを皆さんに伝えていきたいと思います!
まず、16人部屋と聞いて相当大きい部屋と想像しますがめちゃくちゃ狭いです。
写真のように真ん中に通路が1つあり、あとは壁に2段ベッドが両サイドに4個ずつくっついてるだけです。
なので自分の部屋はベットの中だけです。
ベットの中に板を貼り付けテレビを置いたり扇風機を設置したり自分好みの部屋にデザインすることができます。
僕のベッドの下には道渕諒平君(4年)がいます。道渕君は基本静かであまり喋らないのですがお互い部屋のベットにいる時にいきなりテレビ電話をしてきたりする可愛い一面もあります。
横のベットの下には水町政哉君(4年)がいます。政哉君はとても優しくて面白いです。サッカーが上手くいかない時などはご飯に連れて行ってくれて話を聞いてくれたり、アドバイスなどをくれます。とても尊敬している先輩の1人です。
そして16人部屋の真ん中には八谷淳希君(4年)が君臨しています。八谷君は誰とでも仲が良く、下ネタをたくさん言ったり、後輩をいじりまくります。いつも八谷君の言ったことにみんなが爆笑しています。
しかしサッカーになると人が変わって同じゴールキーパーとして本当に尊敬しています。
最初に16部屋に来た時は狭くて嫌でしたけど住めば都です。
今ではとても楽しくて実家よりも落ち着きます。このメンバーで16人部屋に住めるのも残り9ヶ月です。
残りの期間を大事にして楽しみたいと思います!
読んでいただきありがとうございました!
3年 石田貴俊
僕は16人部屋に住んでいるので16人部屋の良さを皆さんに伝えていきたいと思います!
まず、16人部屋と聞いて相当大きい部屋と想像しますがめちゃくちゃ狭いです。
写真のように真ん中に通路が1つあり、あとは壁に2段ベッドが両サイドに4個ずつくっついてるだけです。
なので自分の部屋はベットの中だけです。
ベットの中に板を貼り付けテレビを置いたり扇風機を設置したり自分好みの部屋にデザインすることができます。
僕のベッドの下には道渕諒平君(4年)がいます。道渕君は基本静かであまり喋らないのですがお互い部屋のベットにいる時にいきなりテレビ電話をしてきたりする可愛い一面もあります。
横のベットの下には水町政哉君(4年)がいます。政哉君はとても優しくて面白いです。サッカーが上手くいかない時などはご飯に連れて行ってくれて話を聞いてくれたり、アドバイスなどをくれます。とても尊敬している先輩の1人です。
そして16人部屋の真ん中には八谷淳希君(4年)が君臨しています。八谷君は誰とでも仲が良く、下ネタをたくさん言ったり、後輩をいじりまくります。いつも八谷君の言ったことにみんなが爆笑しています。
しかしサッカーになると人が変わって同じゴールキーパーとして本当に尊敬しています。
最初に16部屋に来た時は狭くて嫌でしたけど住めば都です。
今ではとても楽しくて実家よりも落ち着きます。このメンバーで16人部屋に住めるのも残り9ヶ月です。
残りの期間を大事にして楽しみたいと思います!
読んでいただきありがとうございました!
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