「感謝」 3年 柴田はじめ
三年の柴田はじめです。
あっという間だったこの3年間を振り返りながら、自分なりの「感謝」について書いていきたいと思います。
少し長いですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
「感謝」の気持ちを1番感じたのは、脚と肩の怪我で長期離脱をした期間でした。
私は2度の入院、手術とリハビリにより、約15ヶ月間サッカーをする事が出来ませんでした。3年間の内、半分はリハビリ生活でした。
入院期間には、母が大阪から足を運んでくれ、何から何までしてくれました。
約3年前の1月に親元を離れ、この明治大学サッカー部寮に入寮して以来、私なりに分かっていたつもりの親の有り難みを改めて痛感した事を今でも覚えています。
親だけではなく、想像以上にたくさんの方がお見舞いに来てくださり、私を励ましてくれました。連絡をくれる方も居ましたし、多くの人が私を気にかけてくれ、私は幸せ者なのだと感じました。
しかし、退院して寮に戻ってからというもの、リハビリは地道なメニューばかり。
サッカーは出来ないので、ピッチの外からみんなを眺める時間が自然と増えました。
術後当初は、考えもまだまだ未熟で、なかなか前向きになれませんでした。
週末に近づけば近づく程、補助学をしながらみんなの試合をする姿を観る機会が増え、サッカーへの気持ちが増す一方でした。
私生活もままならない状況で、あの頃は相当なストレスを抱えていましたし、本当にナイーブだったと思います。
ですが、この期間は無くてはならない時間だったと私は思っています。自分と向き合う時間が本当に増えたため、物事の本質を見ようとする感覚を身につけました。
他にも、食生活の改善、ケア、身体作り、自分は周りにどういう影響を与えられるのか。
あらゆる事に対して考える時間が増え、未熟だった考えも少しずつ変化が出てきました。
先ほど述べた、私を支えてくださった方以外にも、主治医の先生やトレーナーの方の熱心な治療やメニューにより、予定よりも早く復帰する事が出来ました。つい最近の9月に復帰しましたが、あの時の気持ちはこれからも忘れる事はないと思います。
ずっと外から眺めていた景色の中に自分が立っていて、プレーする事が出来る。
嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
「はじめ復帰おめでとう」と声をかけてくれる仲間。自分から報告する前に、自ら連絡を入れてくれた方。
「お兄ちゃん無理せんと頑張りや」と言ってくれる弟と妹。
「怪我に気をつけや」といつも私を気にかけてくれるおじいちゃんおばあちゃん。
復帰した事を伝えると、自分の事の様に泣いて喜んでくれる人も居ました。私は本当に幸せ物です。
人は「感謝」をすぐに忘れてしまいます。
特に私は。
私自身、余裕がない時や、上手くいかない事がある時には、自分でコントロールできず家族にひどい言葉を投げつけてしまう事もありました。もちろん家族以外にも。
そういう時は大抵、「感謝」の気持ちを忘れている事に後々気付きます。
それでも私が明治大学で勉学とスポーツの両方に取り組む事が出来ているのは、親の支えがあるからです。私をいつも支えてくれる親には、やはり感謝してもしきれません。
親だけでなく、共に闘う仲間、応援してくれる人の存在が、私の支えになっています。
私が、親や支えてくれる方に出来る1番の恩返しは、サッカーを一生懸命取り組む事です。
もちろんサッカーだけでなく、私生活も見つめ直さなければなりませんが。
地元大阪を離れている為、プレーでの活躍を親や地元のお世話になった方に見てもらう事はなかなか出来ませんが、私生活とピッチの両方で何事にも自分で考えて行動し、一生懸命取り組む事により、選手である以前に人間としての成長が見られます。それは何気ない行動、言動に現れ、自然と人に伝わると思います。そしてサッカーで結果を出す事が出来れば、この上ない喜びだと思います。
何事にも当たり前になってしまうと「感謝」する事を忘れてしまいます。
そして相手に求める事が多くなり、それが満たされないと、自分で気付かないうちに態度や行動に出ます。
当たり前にならないよう毎日を大切にし、私を支えてくれる多くの方への感謝の気持ちを忘れず、これからも成長して行きたいと思います。
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