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2016年12月1日木曜日

「律すること」「感謝」





「律すること」「感謝」
2年 渡辺悠雅

この明治大学体育会サッカー部に入部して色々なことが変化しました。
寮生活であったり朝練、そしてレベルの高いサッカー選手が集まっている組織に身を置けること、大学に入学して初めてのことばかりで慣れるのに少し時間がかかりました。
その中で高校からずっと大事にしてきているものがあります。それは「律すること」と「感謝」です。
律するというのはしてはいけないこと、しなくてはならないことを考え行動していくことです。いつも目標から逆算して今しなければいけないことを常に考えるようにしています。もう一つは感謝です。これは文字通り今こうしてサッカーをやれていることは当たり前でなく親の力や沢山の人の力で成り立っています。そのことを忘れずプレーするのを心掛けています。
この二つのことを常に意識し自分自身サッカー的にも人間的にも成長し今年の目標である三冠をこのチームで成し遂げたいと思います。
応援よろしくお願いします。

感謝、恩返し








こんにちは。
明治大学2年の山上渓吾です。

北海道から上京してきて、もうすぐ2年が経ちます。
あっという間の2年間でした。

この2年間、サッカー部の活動や学校生活、学連の活動など様々な経験をしたり、様々な人と出会ったりし、多くのことに気付かされました。

文武両道を謳い、ピッチ内外においてとことん追求する。
明治大学体育会サッカー部のこの素晴らしい環境の中で過ごせていることは本当に幸せなことです。
また、こうして何不自由なくサッカーができ、学校に行くことができ、生活ができている。
当たり前のことではないし、家族や多くの支えてくれている方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

この感謝の気持ちをピッチ内外において成長し、恩返しがしたい。


そのために、今なにをすべきか考え、行動し、もっと成長スピードを上げていく。
そして、支えて下さっている多くの方々にピッチ内外において活躍し、必ず恩返しをする。

2016年11月23日水曜日

努力の方法

努力の方法 2年 村田航一



 明治大学体育会サッカー部に入部して2年目のシーズンが終わろうとしている。
このチームでいろいろなことを経験し、努力の方法にもいろいろあるということに気づいた。

高校までの私はシュートは打った分だけうまくなると信じていて、全体練習が終わるとひたすら全力で何本もシュート練習をしていた。ダッシュも走った分だけ速くなると信じていて、ひたすらロングダッシュを繰り返していた。


とりあえず、努力とは量をこなした分だけだと信じていた。


しかし今はただやみくもに量をこなしていただけでは本当の意味で向上はしていかないし、
そこに考えて判断する過程が伴っていない限り成長はないと感じている。
以前までの私とは違い自分自身が取り組んでいることが成果として表れないとしたら、それは努力の量が足りないだけでなく、努力の仕方が間違っているからであると考えるようになった。

これは全てに共通することだと思う。

サッカー、体のケア、勉強などいろいろな面において、常に最善の方法は何なのかということを考え続け、試行錯誤を続けていくことが大切なことだと思う。

今シーズンも残りわずか、総理大臣杯とリーグ戦で二冠を達成し、三冠という大きな目標に向かってチャレンジできる立場にあることを当たり前だと思わずに1日1日のトレーニングやトレーニング外の過ごし方も含めて、チームと自分の成長の為に大切にしていきたい。

そして、いつも支えてくれる家族、応援してくれる恩師や友達への感謝の気持ちをピッチの上で表現できるように、最善の努力をしていきたい。





「恩返し~成長~」

「恩返し~成長~」 橋岡 和樹




自分には3人の家族がいる。
父親、母親、そして自分より背の高い弟である。

父親は埼玉の田舎で公務員をしている。
自分が高一のときに脳梗塞で倒れて、今だによく物忘れをすることなどを脳梗塞のせいだ。
などと冗談で言うことが出来てるくらいピンピンしている。

母親はファミレスでパートをしながら主婦をし、土日は父親と共に弟の試合や自分の試合を観に来てくれている。

そして弟は自分が所属していた同じ浦和レッズユースでプレーしている。
知名度の高い弟に対して知名度が低い自分はよく先輩たちに「ダイキっ!!ダイキっ!!(弟の名前)」といじられたりすることが多々ある。笑



こんななんでもない家族に生まれたことを幸せに感じている。明治大学体育会サッカー部に入部出来たのも両親の協力があったからこそである。まずは大学サッカーの舞台で人としてもサッカー選手としても成長し続けている姿を見せつけたい。
それこそが今できる恩返しだと思う。




2016年11月7日月曜日

父と母の偉大さ






「父と母の偉大さ」

2年 袴田裕太郎


 
約2年前。

私は18年間過ごした静岡県浜松市を離れサッカー部のある八幡山の地に足を踏み入れた。

高校まで自宅から学校まで通い、両親の支えのもとサッカーをしてきた。
家は6人家族で祖母、父、母、兄、姉がいる。姉は2つ上で優しく、兄は189cmもある長身だ。
父と母は物静かだがいつも応援してくれている。
そんな父と母から東京に旅立つとき言われたことがある。

父からは
「お前の夢叶えてこい。夢を夢で終わらすな。」と
母からは
「怪我しないようにね、勉強も頑張れば大丈夫。」と言われたのを今でも覚えている。

あまり口に出して言われないがすごく応援してくれて期待してくれているんだと強く感じたと共に「絶対やってやる」と心の中で覚悟した。

この18年間いつも家に帰ればご飯があって、洗濯物が畳まれてあって、とそれが当たり前になっていた。

しかし今は違う。

私は20歳になり自立していかなければならない。
物事を自分で決断し責任ある行動をとっていくことが大切だ。

大学に入り2年が経ち、残すもあと2年。

「地道が近道」と学んだように、小さなことの積み重ねにこだわっていきたい。
サッカーをすることができる環境とサッカーをさせてくれている両親に
感謝の気持ちを忘れないで生活していきたい。


そして育ててくれた両親に恩返ししたい。

応援してくれる人の為に








「応援してくれる人の為に」
 
2年   富田光


 
私は幼稚園の時から今まで15年間サッカーをやってきた。
思い返すと今まで誰のためにサッカーをしてきたのか。
自分の為?チームため?家族のため?
高校生までの自分は少なくとも自分の為のことしか考えていなかった。

しかし大学に入り考え方が変わった。

名古屋から東京に来て、親元を離れることによって、私がサッカーに何の迷いもなく打ち込める環境にあること、そして、私が想像する以上に多くの方々が私の応援をしてくれていることに気がついた。

例えば小学生の頃のコーチ、中学生の頃のチームメイト、高校の監督、友達、そして家族。     
 数えだしたらきりがない。
私はその応援に応えなければならない。
それは、今まで、自分の為にプレーしていたことを私のことを応援してくれている人の為にプレーすること。
その気持ちを考えプレーすることが最終的に自分の成長に繋がると思う。
そして自分がどのような進路に進もうとも、一人のサッカープレイヤーとして、また社会の一員として、またサッカー部のOBとして、いかなる舞台でも活躍しなければならない。
その為に私は、明治大学体育会サッカー部という厳しい環境に身を置き、もがき続け、紫紺のユニフォームを身にまとい、いつの日にか大きな花を咲かせることが応援してくれている方々への最高の恩返しだと思う。

守護神






「守護神」

2年 長沢祐弥


私はゴールキーパーというポジションをしています。
ゴールキーパーは現在各学年2人います。
今日はそのキーパー陣を紹介します。
4年生から順番に紹介します。
 
1人目は服部一輝君です。通称カンチン君です。サッカー部のキャプテンです。カンチン君はシュートストップが得意でスーパーセーブでチームを救ってくれます。又、常に声を出しチームを後ろから支えています。
 
2人目は八谷惇希君です。通称ハチ君です。サッカー部寮の寮長です。ハチ君はキックが得意です。特にドロップキックが得意でドロップキックでチャンスを生み出します。私生活では後輩と遊ぶのが大好きです。

3人目は石田貴俊君です。通称イシダ君です。イシダ君は全部員の中で1番身長が高く筋トレが大好きです。持ち前の大きい体を活かしたダイナミックなプレーが特徴です。私生活でも体を張って笑いを取りにいってます。

4人目は長津大裕君です。通称ナガツ君です。ナガツ君はレフティーでビルドアップが得意です。とても優しく面倒見のいい先輩です。

5人目は後藤大輝です。通称ゴットです。ゴットはとてもバランスの良いプレイヤーです。私生活では優しいですがピッチ内では削り屋という一面もあります。

6人目は加藤大智です。通称タイチです。タイチはフィールドプレイヤーにも劣らないほど足元の技術があります。ピッチ内でもピッチ外でも常に冷静です。

7人目は山口康平です。通称グッサンです。
グッサンは常にチームを後ろから鼓舞する熱い男です。私生活ではいじりどころ満載でみんなからいじられています。

以上が明治大学体育会サッカー部のキーパー陣です。
キーパーというポジションは1人しか試合に出場できないシビアなポジションですが、これからも切磋琢磨し合っていきたいです。
そしてリーグ戦最終節を勝利し、必ずインカレ優勝します!

2016年8月27日土曜日

オレの全盛期


「オレの全盛期」
2年 小野雅史














私のサッカーの全盛期は小学校時代。
当時も身体は小さく可愛らしい少年でした。
しかしドリブルは誰にも止められない!
パスはどこでも出せる!
ゴールもアシストもできる!
そんな選手でした。
エースナンバーをつけ、キャプテンもしていました。
周囲からも上手い上手いと言われていたのを覚えています。
その頃の目標は、Jリーグ史上最年少14歳デビュー、
後に海外でプレーしバロンドールを獲得すること。
現在20歳…
完璧に自分に酔っていました。


しかし中学生になりフィジカル面 、
又 身体以上に小さかったメンタルに悩まされ
小学校のインパクトはなくなりました。
高校3年の夏には、
トップチームに上がれないと言われ
大変悔しい思いをしました。


そして明治大学に入学。
大学トップレベルである明治大学サッカー部に入部できた事は
大きな意味を持つ4年間。
入学当初は、常に日本一を意識した練習、
その雰囲気に圧倒されました。
明治大学は、プロを身近に感じられる環境ですし、
また人間としても大きく成長できる大学です。
自分に足りないもの、
武器とするものをしっかりとこの4年間で磨き上げ、
全盛期はこれからだと言えるように頑張っていきたいと思います。


2016年7月14日木曜日

親に恩返し






2年 押本祐輔


私はこの明治大学に入学するにあたって、誰よりも苦労した自信がある。
私は1年間浪人した。今やどこへ行っても浪人というのはいじられるが、浪人というのは皆の想像を絶するものである。

私は高校の卒業式の前日に予備校の説明会を友達と周った。私は駿台横浜校に通うことを決めた。高校の卒業式の日には皆大学の話をしていて、凄く羨ましかった。浪人生で集まったりして皆で「俺達は予備校という学校に1年間人生の修行しに行くだけだ」などと笑って話して強がっていたが、実際笑えない。笑
浪人しても3割は成績が上がり、4割は成績がそのまま、3割は成績が下がると言われていた。だから、私はこの一年間は全てを勉強に捧げ、終わってからたくさん好きなことをすると覚悟を決めた。

毎日必死に勉強したが、模試の結果は伸び悩んでいた。滅多に泣かないが、模試の結果が悪くて家帰って大泣きしたこともあった。しかし、親は怒ったりはしなかった。毎日ひたすら笑顔でいてくれ、いつも励ましてくれていた。

私が、一番刺激を受けたのは、夏にサッカーの早慶戦を観に行った時だ。その時、初めて大学でサッカーをやりたいと思い始めた。私は慶応という明確な目標ができたことで、またさらに猛勉強し始めた。

いざ、センター試験。自信はあったのに英語の試験で指が震えた。頭が真っ白になった。勿論、センター模試よりも全ての教科が悪かった。そこでも家族に助けられた。
大丈夫だよ!一般試験が本番だ!と励まされ、残り1ヶ月にラストスパートをかけた。

1年間常に自分を信じ、妥協せず頑張った結果からか、2月に英語が一気に上がり、いざ受験。合格発表が次々に出て、MARCHの大学が決まり気持ちの余裕ができたが、慶応には受からなかった。ビリギャルにはなれなかった。笑 あの本のせいで、慶応SFCの倍率はめっちゃ上がっていた。私は明治大学に行くことを決め、浪人生活は幕を閉じた。

私は慶応に落ちた時点で大学サッカーを諦めた。慶応以外は全員スポーツ推薦だと思っていた。セレクションは自信がなかった。しかし、中学時代のチームメイトの3年長津から連絡が来て、一般生もいるし、浪人の人も1人いたし、練習参加してみれば?と声がかかった。この神の声がなかったら明治でサッカーやるなんて思ってもなかった。

今振り返るとサッカー部に入った後の方がきつかった。練習や仕事ときつい1年間だった。これで2年間も私は修行したことになる。笑 けれど、あの浪人生活に比べたら軽いもん。だって、大好きなサッカーを一番レベルが高いとこでやれているのだから。浪人で100万以上かかり、誰よりも親は自分にお金をかけ、いつも支えてくれた。今までの恩返しをするなら、リーグ戦で試合に出て活躍することのみ。私はその目標を果たさないとただの親不孝もの。

今まで培ってきた強いメンタルを武器に、日々の練習から1日1日成長しなければならない。その目標、気持ちを決して忘れず毎日の練習に臨み、ピッチで親に恩返ししたい。


2016年6月19日日曜日

僕の人生


『僕の人生』

2年   上夷  克典




 私は、兄の影響でサッカーを始めた。始めは嫌々ながら練習に行っていた。少しずつではあったがリフティングが出来るようになり始め、サッカーの楽しさを知った。土日には練習試合や試合が毎週のように入っていた。土日の仕事のない日には両親はいつも応援に来てくれた。



これは当たり前ではない。当時の私は当たり前の事だと思っていた。




 そして、月日が流れ高校3年生で進路を決める時これまでにないぐらい悩んでいた。私は関東の大学に行きたいという想いから明治大学を選んだ。自分の行きたい道を両親も優先してくれた。

寮とグランドが近くとても良い環境で私は今大好きなサッカーができている。たくさんの支えがあり、今こうして好きな事をして毎日が充実している。私は本当に幸せ者である。


私は3人兄弟で、兄、弟にもたくさん迷惑をかけてきた。家族みんなを支えられるような存在になりたい。
その為に少しでも早く試合に出て、ビッグな選手になり、家族に恩返しをしたい。