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2016年12月1日木曜日

たかが2年、されど2年




ご拝読頂きありがとうございます。
拙い文章になりますが、最後まで御一読いただけたら幸いです。


2年マネージャーの吉光寺です!
「どこかのお寺の娘?」と聞かれることも、「吉祥寺住み?」とボケられることもありますが、残念ながら吉祥寺ではない東京生まれで東京育ちの者です。
この苗字のおかげで、良くも悪くも目立ってしまいますが、なにか秀でた能力を持っているわけでもありません。


ただ、一つ胸を張って言えることは「明治大学体育会サッカー部に入りたい!」とこんなにも強く思っていた高校時代を送っていたのは私だけではないでしょうか。

中3の時に兄のインハイを見に行き、兄の得点で青森山田高校に勝ったことがきっかけで、サッカーを本気でしている人の力になりたい、マネージャーをやりたいと強く思いました。

高校が付属校であったため、高1の時点で大学サッカーへの憧れを抱き、暇さえあればリーグ戦や天皇杯予選を観に行き、大学サッカーの魅力をひしひしと感じていました。



入部が決まった時は、とても嬉しかったです。
4年間頑張るぞ、と。最初は高校のサッカー部と違うところがあり戸惑いもありました。
今2年目が終わろうとして、何ができたかと言われれば胸を張ってできた、と言えることはないです。
たかが2年、されど2年。きっと短く感じるんだろうなと思いますが、
入った時の嬉しさを決して忘れずに、あと2年間何か爪痕を残せるように、部活に良い影響を与えられたらなと思います。
先輩マネから学べることをたくさん吸収し、同期の江戸梨沙子と切磋琢磨し、後輩マネに支えられながら、有意義な時間を過ごしたいと思います。
個性の強い2年生に元気をもらいながらも、あと2年間頑張ります!



そして最後に、4時に起きて朝ご飯を作ってくれる母、雨の日に駅まで送ってくれる父、サッカーの魅力を教えてくれた兄にとても感謝の気持ちでいっぱいです。
体の弱い私は実家暮らしで本当に良かったとすごい思っています!





ありがとうございました。
これからも明治大学体育会サッカー部への御声援宜しくお願い致します。






優しさとあたたかさ



日頃より明治大学体育会サッカー部を
応援していただき、ありがとうございます。
この度、マネージャーにも部員ブログを書く機会を与えて下さった事に感謝しています。

私は新潟県新潟市出身です。
現在は一人暮らしをしています。
小さい頃から憧れを持っていた「東京」ですが、いざ上京してみると、いっぱいに広がる田んぼや私の母校である新潟明訓高校、そしてその中にある大切な思い出がとても恋しく、いつも帰省する日を待ち遠しく思っています。

私は2人姉妹の長女として生まれ、何不自由なく、のびのびと両親と祖父母に育てられてきました。親元を離れるまでそのありがたさがわからず、両親とは何度も衝突していました。例えばテレビのチャンネル争いやお気に入りの靴下が乾いていないことなどなど、今考えると呆れてしまうほどくだらないことばかりです。それでも両親は生意気な私をしっかりと叱り、見捨てずにここまで育ててくれました。特に、喧嘩をした次の日の朝、いじけている私に対し変わらぬ様子でおはようといってくれる父と、お弁当を作ってくれている母の姿には優しさとあたたかさを感じていました。

私は高校生の頃からサッカー部のマネージャーをしていますが、その時から今まで常に大切にしていることはその優しさとあたたかさを持って部員と接することです。実際に私が優しく温かみがあるマネージャーかはわかりませんが、
両親が教えてくれたおかげで私自身、楽しく部員のサポートができていると思います。これからも優しさとあたたかさを大切に、少しでもみんなにそう感じてもらえるよう過ごしていきたいです。

最後に、ふざけながらもいつも私を気遣い、最後には胴上げをしてくれた高校のサッカー部員と、何もしてあげられていないけれど、いつも優しく接してくれて、これからの成長が楽しみな大学のサッカー部員に出会えて、私は本当に幸せ物です。サッカーによって出会えたこのかけがえのない出会いを大切に周りに支えられながらサッカー部のマネージャーとして成長したいと思います。そして、同じ学年のもう1人のマネージャーの吉光寺ともこれからも協力し合い頑張りたいと思います。

稚拙な文章でしたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。マネージャー日記でまたお会いしましょう!



マネージャー 江戸

2016年10月18日火曜日

八幡山の戦士



「八幡山の戦士」
2年 篠原力




 八幡山には戦士がいる。


 八幡山とは東京都の世田谷区に位置する町で、20号と環八と呼ばれる大きな道路が交わる場所だ。八幡山に山はない。あるのは学生が多く住む住宅街と安くて美味しいご飯屋、飲み屋。

それから明治大学のサッカー部寮がある。
寮のすぐ横にはグラウンドがあって、ここで戦士たちは日々鍛錬を行なっている。 



 ここはいわゆる戦士育成所としてはとても恵まれた環境である。グラウンドは人工芝でトレーニングルームもある。
寮では1日3回の食事が約束されていて、24時間365日気兼ねなくサッカーに打ち込めるわけだ。
ただし、この寮については少々完璧とは言い切れない部分もある。
例えば、部屋と呼べるような空間は1人あたりぴったりシングルベッドひとつ分程しか許されていない。いたるところの窓や壁は段ボールとガムテープの助けを借りてやっと役をなしている。それでも戦士たちはこの寮を愛している。廊下や食堂の床が素足では歩けないような状態であることも、ムシやネズミとの共存を余儀なくされることも、戦士たちにとっては本当に少々のことなのだ。
彼らは寮をより住みよいものにしようと独自のルールを作り、実に工夫を凝らして暮らしている。むしろ戦士たちはこれらの要因すらも糧にしてしまう。



 こう言うと戦士とは生真面目なものに思われるかもしれないが、実際のところ普通の人間である。戦士たちはよく遊ぶし、学校の単位が取れたか取れてないかを気にするし、恋愛のことで一喜一憂したりもする。流行に敏感で、オシャレに決めて出かけるのも好きだ。それから戦士たちは風呂が好きである。平均して常人の1.5〜2倍の回数は風呂に入っている。月に数回はお金を出して町の風呂屋にも行く。
しかし戦士たちは、これらのどの時間よりもボールを蹴り追いかけている時間の方が至極幸せであることを心のうちで分かっている。



 八幡山の戦士になるのは容易なことではない。ただ厳しい日々の鍛錬をこなしたからといってなれるわけでもない。戦士になるということは、その壮大な歴史の重みを背負うということである。
日々の中で、礼節を学び、思いやりと謙虚さを学び、何よりチームのために何ができるかを考えさせられる。
これらは全て戦士の器量として求められるもので、しかもこれらは全て、上から下へ、戦士から戦士へ、という形で受け継がれる。

ここが一番重要なところである。

戦士が戦士を生み出す、これが明大サッカー部が積み重ねてきた伝統なのだ。



 監督やコーチはよく明大サッカー部の歴史についてを語る。今までの戦績、記録、どんな人がいたか、どんな人がこのチームを作ったか、どうやって今のサッカー部ができたか、を。
つまり、今自分たちが得ているものは全て、それまでの先輩方の遺産にほかならない。
八幡山の戦士ならば、それを受け止め次へと積み上げなければいけない。



2016年10月17日月曜日

GK



「GK」
2年 後藤大輝








今回は私のポジションであるゴールキーパーの歴史を紹介することにより、ゴールキーパーの役割の一部分を知って頂けたらと思います。

このサッカーの長い歴史の中で新たに作り出されたポジションもあれば消えたポジションもあります。その中で、ゴールキーパーはサッカーの規則が出来上がってきた当初から存在している唯一のポジションです。


当初は、相手のシュートを止めようとする時以外はゴールキーパーは大抵ゴールポストの間でプレーし移動も制限されていました。その後、プレーのルールが変化すると共に積極的な役割が求められるようになっていきました。ゴールキーパーは試合中に手でボールを扱える唯一のポジションです。最初の競技規則によると、ゴールキーパーはピッチの自陣であればどこでも手でボールを扱うことが許されていました。この規則は改訂され、ゴールキーパーが手を使うことができる範囲はペナルティーエリア内に制限されました。
その後、時間稼ぎの手段として横行する事から競技規則が改訂され、味方のフィールドプレイヤーが足でバックパスしたボールを手で扱うことが禁止されました。
このルールができたことにより、ゴールキーパーは足下でボールを扱うフィールドプレーヤー同等の能力が求められるようになってきたのです。


現代のサッカーでゴールキーパーからのビルドアップ能力はなくてはならないものになってきました。その中で固定観念に捉われるのではなく、柔軟な判断で積極的にプレーし明治の代表として活躍していきたいです。




『負けて得るものもあるが、勝てば人生が変わる』




『負けて得るものもあるが、勝てば人生が変わる』
2年 辻拓也
 





こんにちは。2年の辻拓也です。

 

私には昔からずっと心に残っている名言がある。

 

『生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。』

 

私は今までずっと誰かに支えられながら生きてきた。家族、親戚、友達、先生、コーチや監督など数え切れない人に支えられて生きてきた。



それは今もそうで、一番迷惑をかけているのは大好きな家族だ。私は4人兄弟の末っ子で5歳上の姉、8歳上の兄と9歳上の兄がいる。3人ともサッカーをしておりその影響で私も気づけばサッカーをしていた。4兄弟ということもあり私のために我慢したり、親にわがままを言えないということもたくさんあったと思う。それでもいつも気にかけてくれて、みんな応援してくれている大好きな兄弟だ。

 

親も大好きなサッカーを好きなだけやらせてくれた。自転車、ヨット、ゴルフ、テニスと多趣味な父はしたいことがあったはずなのに、休みの日には送り迎えをしてくれていつも母と試合を見に来てくれた。そしてスパイクを買いに行くと、高いかっこいいスパイクを欲しいと言えずにずっと見ている私に「それ履いてみ〜、合うんやったらそれにせえや〜」「大事に使えな〜」と言って買ってくれたのを今でも覚えている。今思えば当たり前のことではなく、感謝してもきりがない。こうして今も大学へ行かせてもらって大好きなサッカーをさせてもらっている。これは自分の力ではなく家族をはじめとする沢山の人たちの支えのおかげだ。

 

私は今まで沢山の人に支えられてきた。これからは生きてゆかなければならない。そして、沢山の『借り』を返していかなければならない。この明治大学体育会サッカー部という素晴らしい組織で人間としてももっとたくましくなり、応援してくれている多くの人たちのために、明治のためにも重みのある紫紺魂を宿して早く試合に出て活躍したい。



2016年9月20日火曜日

I’ll be back




 
2年 河辺駿太郎
 
 
2016年。これまでのサッカー人生において、間違いなく一番辛く悔しい年だ。
私は先日、今年二度目の手術を受けた。
合宿3日目、雨が降り続けるグラウンドでパキッという音を聞いた瞬間、覚悟した。

頭が真っ白になった。
今年の3月に逆の足の手術を受け、辛いリハビリを乗り越え、やっと調子が上がってきて後期は絶対にリーグ戦に出てやると思っていた矢先。
涙が出るほど悔しかった。
神様はまだ試練を与えるのか。
あの1回じゃまだ足りないのか。
なんで自分にばかり。
骨と共に完全に心も折れかけていた。

その夜両親に電話を掛けた。
やはり親は偉大だ。
お金も迷惑も心配もかけっぱなしだけど、いつもどんな時でも遠くから支えてくれ、味方でいてくれる。そんな両親や妹、祖父母の為にも1日でも早く明治の紫紺のユニフォームに袖を通して活躍している姿を見せたいし、見せなきゃいけない。腐っている暇はない。

今年チームは日本一を成し遂げた。
リーグ戦も現在ダントツ首位。
同じアタッカーで同学年の渡辺悠雅と富田光がリーグ戦でゴールを決めた。
これらの、嬉しいけど相当悔しい出来事が何よりの原動力だ。

自分の事だけを考えてリハビリするのではなく、明治大学体育会サッカー部の一員である以上、チームへの貢献を絶対に考えなければならない。
明治に入り、本当の意味でのフォアザチームを学んだように感じる。
怪我でサッカーでは貢献できない分、
他のところで自分なりのチームへの貢献を全力でしていきたい。

サッカーを始めて14年、どんな逆境にも負けずに突き進んできたから今がある。
この期間をどう捉え、どう過ごすかによって、残りの大学サッカー生活をいくらでも輝かせられると思っている。
自分の内面と闘い、身体としっかり向き合い、明治を勝たせられる選手となって、必ず戻る。

 

2016年5月20日金曜日

今までとこれから



「今までとこれから」

2年 岩武克弥

 明治大学体育会サッカーに入部して一年以上がたちました。一年次ではなかなか試合に出られずとても悔しい思いをしました。また私生活では学校やサッカー部の仕事と慣れるのがとても大変な一年間だったと思います。
 二年になり自分にも後輩ができました。自分がお世話をする相手はジュビロ磐田ユースの森下龍矢。
会った第一印象は元気がいいやつ。入寮してすぐに先輩からもいじられるようになり愛されキャラとしてここまでやっています。

 二年の目標は試合に出続け数字に残る活躍をしていきます。
また私生活では一年の頃より余裕ができると思うので時間を無駄にしないよう勉学はもちろん、たくさんのことにチャレンジしていきたいと思います。


2016年4月14日木曜日

気持ちには引力がある


2年 伊藤克尚


「気持ちには引力がある」



この言葉は、高校時代指導を受けたことのある森山さんが言っていた言葉です。強い意思、強い意欲、気持ちを持って努力し続ければ、大きなものも動かせるという意味です。


 私は高校時代、何度も奇跡的な逆転を見てきました。それはピッチ内外で選手、スタッフ、サポーターが諦めず、強い気持ちを持って逆転を本気で信じたからです。
私は、明治なら必ず逆転の明治と呼ばれるようなチームになれると思います。
一番は無失点で勝つことが目標です。しかし、リーグ戦、総理大臣杯、インカレ、天皇杯など一年間戦っていれば、失点はしてしまいます。その時、逆転できるチームになりたいです。


 しかし、勝ちを引き寄せる為には、日々の練習、練習外での一人一人の取り組みが大事になります。私は、明治の勝利のために、優勝するために、夢を叶えるために、日々強い気持ちを持って努力しつづけ、チームに影響を与えられるような選手になりたいです。