2016年11月28日月曜日

ここから


「ここから」


1年 岡郁樹


こんにちは。
一年の岡郁樹です。

僕がこの明治大学体育会サッカー部に来て、8ヵ月が経とうとしています。
自分にとってはあっという間の8ヵ月でした。

8ヶ月で感じたことは沢山ありますが、やはり一番強く感じたのはサッカーのレベルの高さです。
特に守備面では原理や原則も理解出来ておらず、今も苦労しています。
それでも、入部当初と比べて成長したという確かな自信もあります。
これから、皆を追い抜けるようにもっと上手く、強くなりたいと思います。

自分が卒業する時、一年生の時と比べ、サッカー選手としても勿論、人間としても見違えたと言われるように日々頑張って行きます。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

はじめてのマネージャー


「はじめてのマネージャー」


 1 森下龍矢


これまでジュビロ磐田の下部組織で育ってきた私はマネージャーがいるサッカー生活を経験したことがありません。
そんな私は多くの憧れを抱いていました。
「憧れの森下さんがいるから私、サッカー部のマネージャーになったんです。」みたいなベタな恋愛系の夢を何度見たことか
漫画の読み過ぎかもしれません。
こんな憧ればかり常に抱いています。

しかし、こんな私にも1つまともな憧れがあります。
それは、高校サッカー選手権とかでマネージャーも一緒になって涙を流したり、勝ちを喜んだり、嬉し涙を流したりしている姿です。
いつもテレビで見ていましたが、熱いなー!!と思っていました。

明治大学サッカー部のマネージャーの方達は重いボトルを持ってグランドを走り回っています。
怪我をしたらすぐにアイシングを作ってくれます。
朝すごく早いのにおにぎりを作ってくれます。
本当に感謝しています。

明治大学に入ってサッカーや人間関係の厳しさを寮生活や日頃の練習を通して感じます。
そして、常に色んなところから新たな刺激を受けています。
その中でもマネージャーの存在は自分にとって新感覚な刺激です。
明治大学サッカー部はピッチに立つ者だけでなく、それに関わる全ての人の力で戦っているのだと感じさせてくれます。

たくさんの人が応援してくれている明治大学サッカー部で日々過ごしていると色んな人から色んな種類の刺激を受けます。
ものすごく楽しいです。

私はサッカーが下手くそです。
でも、コツコツ取り組んで学んでいって最終的には全国制覇を賭けた試合に先発フル出場してアグレッシブな私のプレースタイルを披露したいです!!!
頑張ります!!!

マネージャーの方々いつもありがとうございます!!


最後まで読んで頂きありがとうございました。

勝つために生まれてきた

「勝つために生まれてきた」



1年 東山亮



 「君達は勝つために生まれてきた」
これは僕の尊敬する、とても偉大な先生から告げられた言葉であり、使命です。

人は勝たなければ何も得られないと思います。
学校のテスト。受験。就職。そしてサッカー。
自分もセレクションで他の選手に勝つことによってヴェルディに入り、カテゴリーを上がり続け、明治大学体育会サッカー部に入る事が出来ました。

全てにおいて勝つことを目指して闘い、勝たなければ、自分の目標を叶えることは出来ないとこれまでの人生で強く学びました。


話は少し変わり、さっきは自分が勝負に勝ったことをいくつかあげましたが、この19年間負けた事も何度かありました。
高校3年のユース最高学年の時、スタメンを奪われ、奪い返せなかったのは、自分自身にとって大きな敗北でした。

 厳しい事をいうと、勝つことは全てだと思います。
テストでどんなに良い点数を取れても、サッカーでどんなに良いプレーをしても、他の人に点数で負け試験に合格できなければ目標の学校に行けないし、試合に勝たなければ次のステージに上がることが出来ないからです。

 しかし、僕は高3でスタメンを奪われたその敗北の最中で、誰もが憧れ自分自身も一番入りたかった明治大学体育会サッカー部の狭き門を通り抜けました。

 何が言いたいかというと、確かに全ての勝負に勝てることほど素晴らしいことはないけれど、たとえ負けてしまったとしても、最後に勝って自分の目標を掴みとれば、その負けは勝ちへの過程に過ぎなかったということです。

明治に入ることが僕の夢ではないので最後の勝負というと少し大袈裟ですが、人生を分ける1つである進路決定の最後の勝負に僕は勝ちました。


自分の掲げた夢や目標を叶えるためには険しい道があると思いますが、それから逃げずに打ち勝つ事が大事であり、その人の使命だと思います。
僕は誰にも何にでも負けたくありません。
よく友達に「どんだけ負けず嫌いなんだよ」と言われますが、僕は負けることが好きな人の気持ちがわかりません。

 僕が常に勝負に勝ち続けてきたわけでも、勝負から逃げずに生きてきたわけでもないので偉そうな事は言えませんが、この文章を読んで少しでも目の前の勝負から逃げずに挑戦しよう、勝負に勝つことにこだわろうと気持ちに変化があったら嬉しいです。


あまりまとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。
応援よろしくお願いします。

2016年11月25日金曜日

初体験


「初体験」

4年 山本真司


(注)長文の為、読む気がなくなると思いますが、
最後の思いだけでも読んでいただけたら幸いです。


こんばんは。
4年の山本真司です。
東京にも雪が降り、私の大好きな冬がやって来ましたね。


そんな私が今回ご紹介したい初体験は、「地獄のように熱い夏」です!

私は、北海道の高校からこの明治大学に入学して来ました。
18年間、北海道を出たことない私がまず一番に恐れていたのが、なんと言っても「暑さ」です。
初めての東京、初めての人工芝での練習の日々。

そんな中、私の体に異変が…  左足第五中足骨骨折という人生初の大怪我をしました。
そして手術をすることになった私の左足。もちろん手術も初めてです。
不安もありながら、無事私の初手術は大成功に終わりました。

そして、毎日のリハビリを経て、嬉しさ2割、不安8割で迎えた復帰の日。
不安は的中。東京の真夏、4ヶ月の離脱。
4対4  2フリーマンのポゼッションの練習で私は疲れ果てていました。

目の前は真っ白、頭はクラクラ、喉はカラカラ、そんな私に三浦コーチから「お前デ◯だからグラウンド走っとけ‼︎🏃💨」という「熱い」指導を頂きました。
そしてその1週間後には、FWのくせになかなかゴールへ向かわない私に、再び三浦コーチから「お前のゴールはラグビー場か‼︎🏉」という「熱い」喝を頂きました。

私のサッカー人生でこんな事を言われたのは初めてです。
恐らく三浦コーチもこのような事を言ったのは初めてでしょう。
今となってはとてもありがたいお言葉を頂いたと思っております。
というような私の初めてだらけの熱い夏でした。


あれから時は流れ、私も4年生。
あと2週間後には大学最後のインカレが始まり、それが終われば私のサッカー人生も幕を閉じます。
初めて日本一を経験した今年の「熱い夏」。夏も好きになりました。

そしてもう一度、この仲間たちと日本一を掴み取り、明治大学体育会サッカー部に関わる全ての方が喜びの笑顔で終われるように、私が体験したことのない最高の「熱い冬」にしたいです‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⚽️


長文になり申し訳ありません。
これからも応援よろしくお願いします。

普段はとっても優しい三浦コーチと一緒に
撮影したオフショットです☆
山本、三浦コーチ、野田、和田、袴田、辻

2016年11月24日木曜日

憧れ

「憧れ」

1年 渡邉さくら


今回部員ブログを書かせていただくことになりました1年マネージャーの渡邉さくらです。


私は家族の誰かがサッカーをやっているとかサッカーが好きだという訳でもなく、どちらかというと父も母も兄もテニスをやっていたテニス一家でした。
中学2年生の頃、友達に誘われてJリーグを見にいきました。
初めて生で見た試合はすごく楽しくて面白くて、サッカーを好きになりました。
それからJリーグや高校サッカーを観にいくようになりました。

中学3年生の頃、私の従兄弟が別の大学の体育会サッカー部に入部したことをきっかけに大学サッカーという存在を知りました。
高校でマネージャーをやろうとも考えたことはあったのですが、中学3年間続けてきたテニスを辞めるのはもったいないと思ったのと、中学1年生の頃からずっとダブルスを組んでいる子ともっと頑張りたいと思ったので、高校ではやらず大学生になったらやろうとその時に決めました。
なので、高校生の頃はマネージャー日記が更新されるたびに読んで、憧れていたのと同時に自分もここで頑張りたいとずっと思っていました。


高校を卒業し、従兄弟に相談してみました。
少し驚いたようでしたが、「すごく大変だと思うけど、やりがいはあるだろうし4年間やり切ったらすごいと思うよ」と言われました。
ずっと憧れていたし、なりたいと思っていたのですが、本当に自分にできるだろうかと不安を抱いていた私の背中を押してくれたように感じました。

そして、大学生になり現在マネージャーとして明治大学体育会サッカー部に所属させていただいています。
大変ではありますが、選手がストイックに練習しているのを近くでサポートすることができるマネージャーというものに心の底からなれてよかったと思っています。


拙い文章ではありましたが、読んでくださりありがとうございました。
これからも明治大学体育会サッカー部をよろしくお願い致します。

サッカー

「サッカー」 
 
1年 佐藤帆奈美


 
平素は大変お世話になっております。
商学部商学科1年 マネージャーの佐藤帆奈美と申します。
今回はこのような機会を設けていただき、ありがとうございます。
少しだけ自己紹介をし、部員ブログとさせていただきます。


 
家族の影響もあり、私は昔からサッカーが好きでした。
小学生の頃は3つ下の弟、地元のサッカーチームのコーチをやっている父親と一緒に
近くの公園までボールを蹴りに行くこともありました。



時間的、経済的に余裕のあった高校時代は、Jリーグをただひたすら観て過ごしていました。新しい手帳にはまず初めにサッカー観戦の予定を書き込み、毎週のようにスタジアムや練習場に足を運びました。
時にはアルバイトで稼いだお金で夜行バスや新幹線の予約をとり、遠くの地まで観に行くこともありました。

 
また、大学サッカーというカテゴリーに出会ったのも高校生の頃でした。
 
学生のうちに何らかの形でサッカーに携われたらいいな、と考えていましたが、高校時代の私にとって、レベルの高い学生が集う大学サッカーは、遠い世界の話でした。

 

無事に明治大学への進学が決まり、大学では何をしようかなと迷っていたころ
とある1年生部員が、「サッカー部のマネージャーに興味ない?」と声をかけてくれました。
そのとき、遠く、夢のまた夢のように思っていた世界が、急に近くに感じられました。
高校時代とはまた違うサッカーへの関わり方が見えた瞬間でした。


こうして今、昔とはまた違った充実感を感じながら活動しています。
大変なことも多々ありますが、それをこえるやりがいや楽しさがマネージャーの仕事にはあると思います。

 
これからも努力、学びの姿勢を忘れずに
大好きなサッカーに携わることのできる幸せを噛み締めながら
頑張っていきたいと思っています。



拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2016年11月23日水曜日

努力の方法

努力の方法 2年 村田航一



 明治大学体育会サッカー部に入部して2年目のシーズンが終わろうとしている。
このチームでいろいろなことを経験し、努力の方法にもいろいろあるということに気づいた。

高校までの私はシュートは打った分だけうまくなると信じていて、全体練習が終わるとひたすら全力で何本もシュート練習をしていた。ダッシュも走った分だけ速くなると信じていて、ひたすらロングダッシュを繰り返していた。


とりあえず、努力とは量をこなした分だけだと信じていた。


しかし今はただやみくもに量をこなしていただけでは本当の意味で向上はしていかないし、
そこに考えて判断する過程が伴っていない限り成長はないと感じている。
以前までの私とは違い自分自身が取り組んでいることが成果として表れないとしたら、それは努力の量が足りないだけでなく、努力の仕方が間違っているからであると考えるようになった。

これは全てに共通することだと思う。

サッカー、体のケア、勉強などいろいろな面において、常に最善の方法は何なのかということを考え続け、試行錯誤を続けていくことが大切なことだと思う。

今シーズンも残りわずか、総理大臣杯とリーグ戦で二冠を達成し、三冠という大きな目標に向かってチャレンジできる立場にあることを当たり前だと思わずに1日1日のトレーニングやトレーニング外の過ごし方も含めて、チームと自分の成長の為に大切にしていきたい。

そして、いつも支えてくれる家族、応援してくれる恩師や友達への感謝の気持ちをピッチの上で表現できるように、最善の努力をしていきたい。





「恩返し~成長~」

「恩返し~成長~」 橋岡 和樹




自分には3人の家族がいる。
父親、母親、そして自分より背の高い弟である。

父親は埼玉の田舎で公務員をしている。
自分が高一のときに脳梗塞で倒れて、今だによく物忘れをすることなどを脳梗塞のせいだ。
などと冗談で言うことが出来てるくらいピンピンしている。

母親はファミレスでパートをしながら主婦をし、土日は父親と共に弟の試合や自分の試合を観に来てくれている。

そして弟は自分が所属していた同じ浦和レッズユースでプレーしている。
知名度の高い弟に対して知名度が低い自分はよく先輩たちに「ダイキっ!!ダイキっ!!(弟の名前)」といじられたりすることが多々ある。笑



こんななんでもない家族に生まれたことを幸せに感じている。明治大学体育会サッカー部に入部出来たのも両親の協力があったからこそである。まずは大学サッカーの舞台で人としてもサッカー選手としても成長し続けている姿を見せつけたい。
それこそが今できる恩返しだと思う。




2016年11月21日月曜日

禍福は糾える縄の如し

禍福は糾える縄の如し 3年 土居柊太


『禍福は糾える縄の如し』これは高校時代の恩師が教えてくれた言葉であり、私が最も大事にしている言葉だ。
幸福と不幸は表裏一体でかわるがわる訪れるものという意味の言葉だ。
しかし私は1日のすべての行いが後の、幸福にも不幸にも繋がっていると捉えている。
毎日の練習も、食事も仲間とのたわいもない会話さえも、目標を達成するその日に繋がっている。だから1つたりとも妥協は許されない。
明治大学にとっても三冠を達成するための途中にすぎない。過去の栄光にすがり、甘さや妥協が出ると目標には届かないだろう。
インカレ優勝、三冠達成。1日1日がその日に繋がっていることを意識し、もう1度チーム全員で喜びを分かち合いたい。お世話になった4年生のために。

環境の変化


「環境の変化」 3年 鳥海晃司






こんにちは。
千葉から来ました鳥海晃司です。

Jの下部組織出身の僕は学校帰りにクラブの練習場まで行き、19時から練習をこなし、夜ご飯やお風呂などクラブで済ませ帰宅は毎日23時過ぎでした。
高校は練習場の近くに通学していた為、朝早くに家を出て通っていました。
授業中は常に眠たくて何度も寝落ちしてしまったのを覚えています。

明治に入学してから今までの僕と全く逆の生活になりました。
明治の練習は朝6時と8時から練習です。
練習が終わってから授業に行き、次の日も朝練の為、早めに寝るようになりました。
今は朝に練習することによって夜は自分の時間が増え、早く寝たり時間をコントロールできるようになり、サッカーだけではなくしっかり勉強にも取り組むことができ、順調に単位も取得できました。

あと3週間でインカレが始まりますが、試合を観てくれている人に感動を与えられるよう、そして3冠を取れるように謙虚にチーム一丸となって闘っていきますので応援よろしくお願いします。
関東リーガーとしての飛躍と学生としての飛躍、文武両道を心掛けていきたいです。

2016年11月18日金曜日

ユニフォーム


「ユニフォーム」



4年 道渕諒平



書きたいことはたくさんありますが、できるだけ短くまとめて記しました。

今シーズンから、明大サッカー部は一つ変化したことがあります。
それはユニフォームのデザインです。
メーカーやデザインが変わっただけではなく、アマチュアチームながら複数のスポンサーがデザインされ、プロチーム顔負けのデザインに変化しました。

しかし、ユニフォームデザインはどんなに変わっても、絶対に変わることのないものがあります。
それは、この紫紺のユニフォームの『重み』です。

明大サッカー部は、代々先輩方の努力や苦労の積み重ねによって作り上げられた組織だと思います。
サッカーに対して、とことん追求でき、高いレベルで取り組めるこの環境、そして関東1部という舞台でプレーし続けられる事は決して簡単な事ではなく、一朝一夕の取り組みで作り上げられるものではないと思います。

だからこそ、この積み上げられた歴史を想像すればするほど、私はこのユニフォームに袖を通す『重み』を強く感じます。
時にはこの『重み』は大きなプレッシャーとなることもあります。
しかし、同時にこのユニフォームを着れることは誇りであり、私達を突き動かす強い力を与えてくれます。

今年、私達はその先輩方が成し遂げたことのない、『3冠』に挑戦します。
『3冠』を必ず取り、このユニフォームの『重み』を更に高め、明治大学体育会サッカー部は更に強くなります。
そして、4年間、紫紺のユニフォームに袖を通し、積み重ねた『重み』と今シーズンの努力の結晶である『3冠』を身体に刻み込み卒業します。

2016年11月17日木曜日

成長のキッカケ


「成長のキッカケ」


1 山口康平

明治大学体育会サッカー部は成長するキッカケの宝庫だ。
寮の環境、サッカーのレベル、積み上げ、継承されてきた歴史と伝統。
それら全てが僕に人間として、サッカー選手として、一流の個になる為にいつ如何なる時もいいキッカケを与え続けている。

初めて寮を見たときの衝撃は一生忘れる事は出来ない。
二段ベッドが8個ギリギリ置けるスペースに16人が身を寄せ合い、個人に与えられたスペースは二段ベッドの一室のみ。
至る所がガムテープや、ダンボールで補強されている。
外から見ると、まさに軍隊並みの生活かもしれない。
だが、いざその環境の中で生活すると僕が抱いたイメージは大きく変わった。
狭いスペースでお互いに思い合って生活し、レイアウトを変えたり、綺麗に出来るところは徹底的に綺麗にしたりと、与えれた環境に嘆くのではなく、ある環境の中で自分達で創意工夫し、主体的に自分達の生活を向上させる精神に溢れていたからだ。

明治大学サッカー部は個人の主体性の強さがとてつもなく高い。
オフの日にも関わらず、筋トレや自主トレに励む者もいるし、毎週木曜日は選手全員でミーティングを開き、試合の振り返りや、現在のサッカー部の改善すべき点、評価できる点などについて本音で徹底的に討論する。
これらは監督やスタッフに強制されているのではない。
学生自らが主体となって明治が勝つ為に行なっている。
それがピッチ上にも影響しているのは言うまでもない。
私生活では思いやりの精神に溢れているが、ピッチ上では厳しい意見が飛び交い、一切の甘えを許さない。
その厳しさは自分が成長したい、チームを強くしたいという思いがあるが故である。

そして何よりいいキッカケを与えてくれるのは先輩達の背中である。
特に明治の歴史と伝統を継承しようとしている四年生の偉大さは計り知れない。
その偉大さは今の僕とはギャップが大きすぎて、今の四年生を超える四年生になれるのだろうかと不安になる程である。
今はその偉大な先輩達に食らいついて、追い越す事が僕が成長する為に一番大切な事だと思っている。

現在、僕はサッカー人生で初となる長期リハビリをしている。
サッカーが出来ずにもどかしい気持ちはあるが、自分と向きあう時間が増えて、大きく成長できるキッカケになっていると確信している。
どんなことも成長のキッカケ。
それを軸にして僕は明治大学での日々を過ごしていく。

今、自分がすべきこと

「今、自分がすべきこと」


1年 中村帆高

こんにちは。
一年の中村帆高です。

私が明治大学体育会サッカー部に入ってから10ヵ月が経った。
入寮してからは毎日が刺激的で、サッカー面でもサッカー外でも学ぶことが多く、すごくあっという間に感じる。
サッカー面では、本当に自分は恵まれた環境でできているんだなと感じる。
寮とグラウンドがものすごく近く、いつでもボールを蹴れる環境がある。
何より一番恵まれているのは、高いレベルの中で毎日サッカーができることだ。
高校時代には味わえなかったスピード感、フィジカルなど色々なことをここでは学ぶことができ、それを吸収することで成長していくことができる。
ミスをすることも、出来ないこともたくさんあるけれど、こういう壁にぶち当たったときこそ一番成長できるチャンスだと思って日々努力していかなければならない。
頑張るとか努力するとかは口では簡単に言えるけど、実際それが一番難しいことなんだと思う。


努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、
それはまだ努力と呼べない。

これは王貞治さんの言葉だ。
この言葉を見たときは色々と考えさせられた。
今までの自分は口先だけの努力だったし、自分に甘い言葉をかけて勝負所で逃げたりした。
今の自分を変えるためにできることは、目の前の一つ一つのことを全力でやるしかない。うまくいかないことがあっても、そのことから逃げないで、一つ一つに全力で向き合うしかない。
そういう強い気持ちをもってやることがこれからの自分に繋がると思う。 

まだ色々と弱い自分だけれども、自分を信じて努力して、最後引退するとき心の底から「4年間やってきてよかった」と思えるように、日々を過ごしていきたいと思う。


短い文章ですが、読んでくださりありがとうございました。

厳しさ

「厳しさ」


1年 中村健人



明治大学で緩いプレーはできない。半端な気持ちでいるとすぐにポジションがなくなる。
一瞬の隙も見せてはいけない。明治大学の練習はそれほど厳しいものだ。

少し前までの自分は、苦手なプレーは誤魔化しながらやっていた。
そのうち自分がどういうプレーヤーなのか、なにが良くてなにが悪いのか、自分のプレーが把握できず課題に取り組むということができなくなっていた。
そのせいで調子が悪い時などに、自分で修正できず時間を無駄にしてしまっていた気がする。

しかし、この厳しい環境でプレーをすることで自分の甘さに気付かされ、今は自分の課題がはっきりとわかる。
少し前までの自分とは全く違う。いまの自分には伸び代がある、そう確信している。
この成長は厳しい環境を作り出している明治大学だからこその成長である。

この恵まれた環境で、サッカーをさせてくれる親への感謝を忘れずに、これからも自分の目標に向かって頑張っていきたい。

2016年11月11日金曜日

日本一


「日本一」


4年 水町政哉


私は夏の総理大臣杯で人生で初めて日本一を経験した。
それは今までに味わったことのない喜びで、別次元の感覚だった。あの時、チーム全員で喜びを分かち合った記憶は今でも鮮明に覚えている。


その時、大好きなサッカーで日本一を成し遂げた喜びはもちろんだが、それよりもこのメンバーで日本一を掴んだことに大きな喜びを感じていた私がいた。1〜3年生の下級生達も私にとって大事な仲間だが、それ以上に同期の存在が大きかった。


そのくらい私は同期が大好きであり、これが一生付き合っていく仲間なんだな。と感じている。

下級生の頃は仕事で毎日ミーティングを行い、時には本音で話す中で喧嘩してしまう時もあった。しかし、ぶつかり合う中でお互いの事を少しずつ理解していくことが出来たと思う。


4年生になるとサッカーでのミーティングが増えた。今年の目標である「3冠」に向けて何度もミーティングを重ねた。チームが上手くいかない時はお互いの熱い気持ちを伝え合った。その度に「このメンバーで3冠を成し遂げたい」という想いが増していった。そして今に至る。


インカレ決勝まで。
12/18までサッカーをやりたい。
そして、もう一度最高の仲間達と大好きなサッカーで日本一を取りたい。


それだけ考えて残り1ヶ月をやり遂げたい。


夏の総理大臣杯
決勝後の集合写真☆

2016年11月7日月曜日

父と母の偉大さ






「父と母の偉大さ」

2年 袴田裕太郎


 
約2年前。

私は18年間過ごした静岡県浜松市を離れサッカー部のある八幡山の地に足を踏み入れた。

高校まで自宅から学校まで通い、両親の支えのもとサッカーをしてきた。
家は6人家族で祖母、父、母、兄、姉がいる。姉は2つ上で優しく、兄は189cmもある長身だ。
父と母は物静かだがいつも応援してくれている。
そんな父と母から東京に旅立つとき言われたことがある。

父からは
「お前の夢叶えてこい。夢を夢で終わらすな。」と
母からは
「怪我しないようにね、勉強も頑張れば大丈夫。」と言われたのを今でも覚えている。

あまり口に出して言われないがすごく応援してくれて期待してくれているんだと強く感じたと共に「絶対やってやる」と心の中で覚悟した。

この18年間いつも家に帰ればご飯があって、洗濯物が畳まれてあって、とそれが当たり前になっていた。

しかし今は違う。

私は20歳になり自立していかなければならない。
物事を自分で決断し責任ある行動をとっていくことが大切だ。

大学に入り2年が経ち、残すもあと2年。

「地道が近道」と学んだように、小さなことの積み重ねにこだわっていきたい。
サッカーをすることができる環境とサッカーをさせてくれている両親に
感謝の気持ちを忘れないで生活していきたい。


そして育ててくれた両親に恩返ししたい。

応援してくれる人の為に








「応援してくれる人の為に」
 
2年   富田光


 
私は幼稚園の時から今まで15年間サッカーをやってきた。
思い返すと今まで誰のためにサッカーをしてきたのか。
自分の為?チームため?家族のため?
高校生までの自分は少なくとも自分の為のことしか考えていなかった。

しかし大学に入り考え方が変わった。

名古屋から東京に来て、親元を離れることによって、私がサッカーに何の迷いもなく打ち込める環境にあること、そして、私が想像する以上に多くの方々が私の応援をしてくれていることに気がついた。

例えば小学生の頃のコーチ、中学生の頃のチームメイト、高校の監督、友達、そして家族。     
 数えだしたらきりがない。
私はその応援に応えなければならない。
それは、今まで、自分の為にプレーしていたことを私のことを応援してくれている人の為にプレーすること。
その気持ちを考えプレーすることが最終的に自分の成長に繋がると思う。
そして自分がどのような進路に進もうとも、一人のサッカープレイヤーとして、また社会の一員として、またサッカー部のOBとして、いかなる舞台でも活躍しなければならない。
その為に私は、明治大学体育会サッカー部という厳しい環境に身を置き、もがき続け、紫紺のユニフォームを身にまとい、いつの日にか大きな花を咲かせることが応援してくれている方々への最高の恩返しだと思う。

守護神






「守護神」

2年 長沢祐弥


私はゴールキーパーというポジションをしています。
ゴールキーパーは現在各学年2人います。
今日はそのキーパー陣を紹介します。
4年生から順番に紹介します。
 
1人目は服部一輝君です。通称カンチン君です。サッカー部のキャプテンです。カンチン君はシュートストップが得意でスーパーセーブでチームを救ってくれます。又、常に声を出しチームを後ろから支えています。
 
2人目は八谷惇希君です。通称ハチ君です。サッカー部寮の寮長です。ハチ君はキックが得意です。特にドロップキックが得意でドロップキックでチャンスを生み出します。私生活では後輩と遊ぶのが大好きです。

3人目は石田貴俊君です。通称イシダ君です。イシダ君は全部員の中で1番身長が高く筋トレが大好きです。持ち前の大きい体を活かしたダイナミックなプレーが特徴です。私生活でも体を張って笑いを取りにいってます。

4人目は長津大裕君です。通称ナガツ君です。ナガツ君はレフティーでビルドアップが得意です。とても優しく面倒見のいい先輩です。

5人目は後藤大輝です。通称ゴットです。ゴットはとてもバランスの良いプレイヤーです。私生活では優しいですがピッチ内では削り屋という一面もあります。

6人目は加藤大智です。通称タイチです。タイチはフィールドプレイヤーにも劣らないほど足元の技術があります。ピッチ内でもピッチ外でも常に冷静です。

7人目は山口康平です。通称グッサンです。
グッサンは常にチームを後ろから鼓舞する熱い男です。私生活ではいじりどころ満載でみんなからいじられています。

以上が明治大学体育会サッカー部のキーパー陣です。
キーパーというポジションは1人しか試合に出場できないシビアなポジションですが、これからも切磋琢磨し合っていきたいです。
そしてリーグ戦最終節を勝利し、必ずインカレ優勝します!

2016年11月4日金曜日

幸せ者


「幸せ者」


4年 松田惠夢


 私はみんなの様に文章能力のある感動する文は書けませんが、この文章で少しでも何か感じて頂けたら嬉しいです。

 先月、兄が父親になりました!
私の甥っ子が生まれて来てくれたのです。
感動と感謝と自覚といった感情がありました!嬉しくて待ち受け画面にも設定したぐらいです。

 私は3人兄弟の三男で、兄達とはケンカが多く、いつもボコボコにされて、私は泣いてばっかりでいつか勝ってやると思い続けていました!
その兄が父親になりました。
言葉ではうまく言えませんが、なんだか時間の流れや家族との時間を見返す機会が増えたのです。

いつの間にか私たち兄弟は
支えられる事の多い立場から
支える事の多い立場になったことを実感しました。

そう考えると、兄達はすごい大きくてかっこいい存在だと改めて思います。

兄達に比べて私はまだまだ未熟で頼りない部分が多いですが、少しずつ親を支えていけるようになりたいですね笑

可愛くて仕方ないという
松田の甥っ子


 そして、私をここまで成長させてくれたのは、やはりサッカーが大きいです。
16年間サッカーをしてきて、大学での4年間は数え切れない程の「気付き」を得られることが出来ました。
例えば、最高の仲間がいて、みんなが全力で優勝を目指す環境が当たり前ではないことなど。
普段、当たり前と思っている事程大切にすることです。
サッカーという心から頑張れるスポーツと出会って、私は幸せ者でこの感情になれた事に感謝します!

大学サッカー残り1ヶ月少し!
私は引退すれば、サッカーをやめる事に決めました。
あれだけ大好きなサッカーと離れることは、言葉にならないほどの想いがあります。
その想いを表せるとしたら、支えてくれた方々、OBの方々、後輩達、四年のみんなに一つでも多く、恩返しする事です。
三冠はその一つでもあると思います。
語るのが苦手な私は行動で表現していきたいです。

言いたい事を言っただけの文章ですが、これで終わりたいと思います。

ありがとうございました。

2016年11月1日火曜日

感謝の気持ちを表現。

「感謝の気持ちを表現。」 3年 田邉真之介





私は明治大学体育会サッカー部に入部して3年が経とうとしているこの3年間でチームにとっても自分自身にとっても様々なことがあった。その1つ1つに感謝の気持ちを示さなければいけないと感じている


チームに目を向けてみるとこの3年間の中で過去の2年間は、総理大臣杯準優勝、2度のリーグ戦2位、インカレ3位など後一歩のところで優勝という二文字を手に入れることはできなかった。

だが今年は総理大臣杯優勝、リーグ戦史上最速優勝と過去の2年間の鬱憤を晴らすかのようにタイトルを手にすることができている。なぜタイトルをすることができたのか。


それはそのピッチに立っていた選手達が素晴らしいプレーをしたのは勿論だが、それを支えてくださっている様々な方々がいたからこその優勝で、この先もタイトルを獲得していくことが今までの明治を築きあげてくださったOBの方々への感謝、恩返しだと感じている。


だが自分自身に目を向けてみるとタイトルを獲得した試合のピッチに一度も立っていない。チームとしては優勝を手に入れているが私は応援という立場で優勝の瞬間に立ち会っている。勿論チームとして誇らしいことではあるが、自分自身に目を向けてみると悔しい気持ちの方が大きい。


この3年間怪我が多く、人生初の手術も経験し納得のいくシーズンを送れていない。だがどんなときも変わらず応援をしてくれ、支えてくれている両親、マネージャー日記で私の近況をいつも確認して応援をしてくれている祖母、どんなときも相談に乗ってくれる地元の友人などその人たちの為にも必ず公式戦のピッチに立ち感謝の気持ちを表現することが少なからずの恩返しだと思っている。




最低3試合。最高6試合。

「最低3試合。最高6試合。」 3年 柴戸海



最低3試合。最高6試合。

これは今年、まだこのチームで戦うことのできる公式戦の数だ。リーグ戦残りあと2節。それに加え、負けたら終わりのインカレ。どちらにせよ、このチームでプレーできるのも残りわずかとなってしまった。
来年になれば、もう二度とこのチームで戦うことは無い。このチームで戦えることがどれだけ幸せなことなのか。そう考えれば、日々の練習や生活をより一層大切にできるのではないだろうか。

2冠が決まった今、"打倒明治"を掲げ、分析し、対策を練って挑んでくるであろう他大学を相手に3冠を取ってこそ、真の強さを証明できたことになるのではないか、と思っている。

話は変わるが、年内に成し遂げたいことがある。
それは、高校の時から5年間お世話になっている小出悠太を漢にすることだ。
彼が後ろにいる安心感で自分は自由にプレーできた。それにより、自分の長所を発揮することができ、成長できたと言っても過言ではない。
だからこそ、最大限の感謝の気持ちを持って、3冠という形で恩返しをしたい。
そして、再来年は彼の待つ、プロのステージで対戦相手として戦いたい。


最後になったが、インカレ優勝の為、チームの為に残りわずかな時間を後悔しないよう過ごしていきたい。


P.S
皆さま、応援よろしくお願いいたします!

感謝

「感謝」 3年 柴田はじめ



三年の柴田はじめです。
あっという間だったこの3年間を振り返りながら、自分なりの「感謝」について書いていきたいと思います。
少し長いですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

「感謝」の気持ちを1番感じたのは、脚と肩の怪我で長期離脱をした期間でした。

私は2度の入院、手術とリハビリにより、約15ヶ月間サッカーをする事が出来ませんでした。3年間の内、半分はリハビリ生活でした。

入院期間には、母が大阪から足を運んでくれ、何から何までしてくれました。
約3年前の1月に親元を離れ、この明治大学サッカー部寮に入寮して以来、私なりに分かっていたつもりの親の有り難みを改めて痛感した事を今でも覚えています。
親だけではなく、想像以上にたくさんの方がお見舞いに来てくださり、私を励ましてくれました。連絡をくれる方も居ましたし、多くの人が私を気にかけてくれ、私は幸せ者なのだと感じました。

しかし、退院して寮に戻ってからというもの、リハビリは地道なメニューばかり。
サッカーは出来ないので、ピッチの外からみんなを眺める時間が自然と増えました。
術後当初は、考えもまだまだ未熟で、なかなか前向きになれませんでした。

週末に近づけば近づく程、補助学をしながらみんなの試合をする姿を観る機会が増え、サッカーへの気持ちが増す一方でした。
私生活もままならない状況で、あの頃は相当なストレスを抱えていましたし、本当にナイーブだったと思います。

ですが、この期間は無くてはならない時間だったと私は思っています。自分と向き合う時間が本当に増えたため、物事の本質を見ようとする感覚を身につけました。
他にも、食生活の改善、ケア、身体作り、自分は周りにどういう影響を与えられるのか。
あらゆる事に対して考える時間が増え、未熟だった考えも少しずつ変化が出てきました。

先ほど述べた、私を支えてくださった方以外にも、主治医の先生やトレーナーの方の熱心な治療やメニューにより、予定よりも早く復帰する事が出来ました。つい最近の9月に復帰しましたが、あの時の気持ちはこれからも忘れる事はないと思います。

ずっと外から眺めていた景色の中に自分が立っていて、プレーする事が出来る。
嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
「はじめ復帰おめでとう」と声をかけてくれる仲間。自分から報告する前に、自ら連絡を入れてくれた方。
「お兄ちゃん無理せんと頑張りや」と言ってくれる弟と妹。
「怪我に気をつけや」といつも私を気にかけてくれるおじいちゃんおばあちゃん。
復帰した事を伝えると、自分の事の様に泣いて喜んでくれる人も居ました。私は本当に幸せ物です。

人は「感謝」をすぐに忘れてしまいます。
特に私は。
私自身、余裕がない時や、上手くいかない事がある時には、自分でコントロールできず家族にひどい言葉を投げつけてしまう事もありました。もちろん家族以外にも。
そういう時は大抵、「感謝」の気持ちを忘れている事に後々気付きます。

それでも私が明治大学で勉学とスポーツの両方に取り組む事が出来ているのは、親の支えがあるからです。私をいつも支えてくれる親には、やはり感謝してもしきれません。
親だけでなく、共に闘う仲間、応援してくれる人の存在が、私の支えになっています。

私が、親や支えてくれる方に出来る1番の恩返しは、サッカーを一生懸命取り組む事です。
もちろんサッカーだけでなく、私生活も見つめ直さなければなりませんが。

地元大阪を離れている為、プレーでの活躍を親や地元のお世話になった方に見てもらう事はなかなか出来ませんが、私生活とピッチの両方で何事にも自分で考えて行動し、一生懸命取り組む事により、選手である以前に人間としての成長が見られます。それは何気ない行動、言動に現れ、自然と人に伝わると思います。そしてサッカーで結果を出す事が出来れば、この上ない喜びだと思います。

何事にも当たり前になってしまうと「感謝」する事を忘れてしまいます。
そして相手に求める事が多くなり、それが満たされないと、自分で気付かないうちに態度や行動に出ます。
当たり前にならないよう毎日を大切にし、私を支えてくれる多くの方への感謝の気持ちを忘れず、これからも成長して行きたいと思います。