2016年10月18日火曜日

八幡山の戦士



「八幡山の戦士」
2年 篠原力




 八幡山には戦士がいる。


 八幡山とは東京都の世田谷区に位置する町で、20号と環八と呼ばれる大きな道路が交わる場所だ。八幡山に山はない。あるのは学生が多く住む住宅街と安くて美味しいご飯屋、飲み屋。

それから明治大学のサッカー部寮がある。
寮のすぐ横にはグラウンドがあって、ここで戦士たちは日々鍛錬を行なっている。 



 ここはいわゆる戦士育成所としてはとても恵まれた環境である。グラウンドは人工芝でトレーニングルームもある。
寮では1日3回の食事が約束されていて、24時間365日気兼ねなくサッカーに打ち込めるわけだ。
ただし、この寮については少々完璧とは言い切れない部分もある。
例えば、部屋と呼べるような空間は1人あたりぴったりシングルベッドひとつ分程しか許されていない。いたるところの窓や壁は段ボールとガムテープの助けを借りてやっと役をなしている。それでも戦士たちはこの寮を愛している。廊下や食堂の床が素足では歩けないような状態であることも、ムシやネズミとの共存を余儀なくされることも、戦士たちにとっては本当に少々のことなのだ。
彼らは寮をより住みよいものにしようと独自のルールを作り、実に工夫を凝らして暮らしている。むしろ戦士たちはこれらの要因すらも糧にしてしまう。



 こう言うと戦士とは生真面目なものに思われるかもしれないが、実際のところ普通の人間である。戦士たちはよく遊ぶし、学校の単位が取れたか取れてないかを気にするし、恋愛のことで一喜一憂したりもする。流行に敏感で、オシャレに決めて出かけるのも好きだ。それから戦士たちは風呂が好きである。平均して常人の1.5〜2倍の回数は風呂に入っている。月に数回はお金を出して町の風呂屋にも行く。
しかし戦士たちは、これらのどの時間よりもボールを蹴り追いかけている時間の方が至極幸せであることを心のうちで分かっている。



 八幡山の戦士になるのは容易なことではない。ただ厳しい日々の鍛錬をこなしたからといってなれるわけでもない。戦士になるということは、その壮大な歴史の重みを背負うということである。
日々の中で、礼節を学び、思いやりと謙虚さを学び、何よりチームのために何ができるかを考えさせられる。
これらは全て戦士の器量として求められるもので、しかもこれらは全て、上から下へ、戦士から戦士へ、という形で受け継がれる。

ここが一番重要なところである。

戦士が戦士を生み出す、これが明大サッカー部が積み重ねてきた伝統なのだ。



 監督やコーチはよく明大サッカー部の歴史についてを語る。今までの戦績、記録、どんな人がいたか、どんな人がこのチームを作ったか、どうやって今のサッカー部ができたか、を。
つまり、今自分たちが得ているものは全て、それまでの先輩方の遺産にほかならない。
八幡山の戦士ならば、それを受け止め次へと積み上げなければいけない。



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