2年 押本祐輔
私はこの明治大学に入学するにあたって、誰よりも苦労した自信がある。
私は1年間浪人した。今やどこへ行っても浪人というのはいじられるが、浪人というのは皆の想像を絶するものである。
私は高校の卒業式の前日に予備校の説明会を友達と周った。私は駿台横浜校に通うことを決めた。高校の卒業式の日には皆大学の話をしていて、凄く羨ましかった。浪人生で集まったりして皆で「俺達は予備校という学校に1年間人生の修行しに行くだけだ」などと笑って話して強がっていたが、実際笑えない。笑
浪人しても3割は成績が上がり、4割は成績がそのまま、3割は成績が下がると言われていた。だから、私はこの一年間は全てを勉強に捧げ、終わってからたくさん好きなことをすると覚悟を決めた。
毎日必死に勉強したが、模試の結果は伸び悩んでいた。滅多に泣かないが、模試の結果が悪くて家帰って大泣きしたこともあった。しかし、親は怒ったりはしなかった。毎日ひたすら笑顔でいてくれ、いつも励ましてくれていた。
私が、一番刺激を受けたのは、夏にサッカーの早慶戦を観に行った時だ。その時、初めて大学でサッカーをやりたいと思い始めた。私は慶応という明確な目標ができたことで、またさらに猛勉強し始めた。
いざ、センター試験。自信はあったのに英語の試験で指が震えた。頭が真っ白になった。勿論、センター模試よりも全ての教科が悪かった。そこでも家族に助けられた。
大丈夫だよ!一般試験が本番だ!と励まされ、残り1ヶ月にラストスパートをかけた。
大丈夫だよ!一般試験が本番だ!と励まされ、残り1ヶ月にラストスパートをかけた。
1年間常に自分を信じ、妥協せず頑張った結果からか、2月に英語が一気に上がり、いざ受験。合格発表が次々に出て、MARCHの大学が決まり気持ちの余裕ができたが、慶応には受からなかった。ビリギャルにはなれなかった。笑 あの本のせいで、慶応SFCの倍率はめっちゃ上がっていた。私は明治大学に行くことを決め、浪人生活は幕を閉じた。
私は慶応に落ちた時点で大学サッカーを諦めた。慶応以外は全員スポーツ推薦だと思っていた。セレクションは自信がなかった。しかし、中学時代のチームメイトの3年長津から連絡が来て、一般生もいるし、浪人の人も1人いたし、練習参加してみれば?と声がかかった。この神の声がなかったら明治でサッカーやるなんて思ってもなかった。
今振り返るとサッカー部に入った後の方がきつかった。練習や仕事ときつい1年間だった。これで2年間も私は修行したことになる。笑 けれど、あの浪人生活に比べたら軽いもん。だって、大好きなサッカーを一番レベルが高いとこでやれているのだから。浪人で100万以上かかり、誰よりも親は自分にお金をかけ、いつも支えてくれた。今までの恩返しをするなら、リーグ戦で試合に出て活躍することのみ。私はその目標を果たさないとただの親不孝もの。
今まで培ってきた強いメンタルを武器に、日々の練習から1日1日成長しなければならない。その目標、気持ちを決して忘れず毎日の練習に臨み、ピッチで親に恩返ししたい。
今まで培ってきた強いメンタルを武器に、日々の練習から1日1日成長しなければならない。その目標、気持ちを決して忘れず毎日の練習に臨み、ピッチで親に恩返ししたい。
がんばれ!オシモト!
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