「-サッカーが出来るという幸せ-」
1年 瀬古樹
僕がサッカーを始めたのは3歳。まだ幼稚園児であった。兄がやっていた影響で自然とボールに触れ合っていた。
始めた当初は全くやる気がなく、練習が終わってから友達と遊ぶことのほうが楽しかった。そんな僕だったが、1つ上の学年の試合に出場することになった。僅かな時間ではあったが出場した。しかし、全くボールに触れず、パスが回ってきては直ぐに取られて何も出来ずに試合が終わってしまった。悔しくて仕方がなかった。
この日を境にサッカーに対する思いが変わった。真剣に取り組むようになった。常にサッカー中心の生活になり、そのせいかサッカーが大好きになった。
小・中・高とクラブチームでプレーしてきた。最高の環境でサッカーが出来た。しかし、それが当たり前ではない。両親のサポートがあったからこそだった。感謝してもしきれないほどサポートしてくれている。それは今も変わらない。サッカーが出来るということは幸せである。だからこそ感謝の気持ちは忘れてはならない。
サッカーを始めてから今まで怪我による長期離脱はしたことがなかったが今年の7月に手術をする程の怪我をした。全治3〜4ヶ月程の怪我だ。こんなにサッカーが出来ないと今にも気が狂いそうだ。観点は違うがここでもサッカーが出来るということがいかに幸せかと感じる。チームメイトはみんな毎日練習して日々成長していく中、自分は怪我でリハビリ生活。焦りを感じる時もある。けれど、このリハビリ期間が自分の身体と向き合う良い機会になったのは間違いない。足りない部分を補えるチャンスだからだ。この機会に身体を強くして自分のプラスにしていきたい。復帰までの残りの1〜2ヶ月。自分自身を追い込みたいと思う。
先月、チームは全国優勝を果たした。嬉しかったのは確かだったが心の底から喜べなかった。スタンドという立場での全国優勝程悔しいものはない。1日でも早く復帰してこの悔しさを晴らしたいと思う。
日々成長して人として大きくなって、今まで支えてきてもらった分を3年半後に僕が大好きなサッカーで両親に恩返しが出来るようになりたいと思う。
2016年8月30日火曜日
2016年8月27日土曜日
オレの全盛期
「オレの全盛期」
2年 小野雅史
私のサッカーの全盛期は小学校時代。
当時も身体は小さく可愛らしい少年でした。
しかしドリブルは誰にも止められない!
当時も身体は小さく可愛らしい少年でした。
しかしドリブルは誰にも止められない!
パスはどこでも出せる!
ゴールもアシストもできる!
そんな選手でした。
エースナンバーをつけ、キャプテンもしていました。
周囲からも上手い上手いと言われていたのを覚えています。
その頃の目標は、Jリーグ史上最年少14歳デビュー、
エースナンバーをつけ、キャプテンもしていました。
周囲からも上手い上手いと言われていたのを覚えています。
その頃の目標は、Jリーグ史上最年少14歳デビュー、
又 身体以上に小さかったメンタルに悩まされ
小学校のインパクトはなくなりました。
高校3年の夏には、
高校3年の夏には、
トップチームに上がれないと言われ
大変悔しい思いをしました。
そして明治大学に入学。
大学トップレベルである明治大学サッカー部に入部できた事は
そして明治大学に入学。
大学トップレベルである明治大学サッカー部に入部できた事は
大きな意味を持つ4年間。
入学当初は、常に日本一を意識した練習、
入学当初は、常に日本一を意識した練習、
その雰囲気に圧倒されました。
明治大学は、プロを身近に感じられる環境ですし、
明治大学は、プロを身近に感じられる環境ですし、
また人間としても大きく成長できる大学です。
自分に足りないもの、
武器とするものをしっかりとこの4年間で磨き上げ、
全盛期はこれからだと言えるように頑張っていきたいと思います。
2016年8月22日月曜日
我慢、努力
『我慢、努力』
3年 金原唯斗
どんなに大きな大木だって
どんなに綺麗な花だって
最初はみんな種だった
最初はみんな見えなかった
種はすぐには花にはならない
大きな木々にもなりはしない
焦らず急がずゆっくりと
土の中で待っていたんだ
いつか地上に出る!
いつか綺麗に咲く!
その事夢見て長い時をかけ
ずっとジッと待っているんだ
確かな栄養だけ吸収、確かな情報だけ収集
確かな『我慢』と確かな『努力』は
絶対無駄にはならない
今はまだ小さな蕾でも
今はまだ芽も出てない種でも
いつか必ず大きな大輪の
花を咲かすから大丈夫!
これは、ある歌の歌詞の一部である
怪我が多い私は、
行き詰まった時にこの曲を聴く
そしてこの曲に助けられている
サッカーを続ける力になっている
サッカーができない状況、
上手くいかず苦しい状況を
『我慢』し『努力』し続けることで、
必ず大きな『花』を咲かせてみせる。
2016年8月7日日曜日
総理大臣杯にかける想い
「総理大臣杯にかける想い」
4年小出悠太
今年の4年生は、大学1年と大学3年の時に全国大会である、総理大臣杯を経験しました。
しかし、どちらも決勝戦で敗れ、準優勝という結果に終わりました。
優勝と準優勝の間にはとてつもなく大きな差があります。
その時の悔しさと後悔は、今も褪せる事なく頭に焼き付いています。
しかし、どちらも決勝戦で敗れ、準優勝という結果に終わりました。
優勝と準優勝の間にはとてつもなく大きな差があります。
その時の悔しさと後悔は、今も褪せる事なく頭に焼き付いています。
全国制覇は、簡単に成し遂げられるものではありません。
トーナメント形式の連戦の中、なにが起こってもブレないメンタルと技術、勝負強さや運も必要です。
これらのものは日々の練習や私生活の積み重ねで得られると感じています。
しかし、試合中には、勝負に勝つ為に、絶対に外せないポイントがあります。
そのポイントを見分ける為には、積み重ねてきた"経験"が重要だと考えています。
トーナメント形式の連戦の中、なにが起こってもブレないメンタルと技術、勝負強さや運も必要です。
これらのものは日々の練習や私生活の積み重ねで得られると感じています。
しかし、試合中には、勝負に勝つ為に、絶対に外せないポイントがあります。
そのポイントを見分ける為には、積み重ねてきた"経験"が重要だと考えています。
初めに書いたように、今年の4年生は総理大臣杯の準優勝を2回経験しています。
中でも自分はその両方をピッチ上で経験する事が出来ました。
その経験をチームに伝え、チームの力にする事は4年生である自分が絶対にしなければならない責務だと思っています。
中でも自分はその両方をピッチ上で経験する事が出来ました。
その経験をチームに伝え、チームの力にする事は4年生である自分が絶対にしなければならない責務だと思っています。
八幡山で応援してくれている部員と優勝の喜びを分かち合う為にも、まず2回戦、死にもの狂いで勝利をもぎ取って、次に繋げていきたいと思います。