2016年12月9日金曜日

インカレに向けて




4年 服部一輝

いつだって成長できる。

入学当初、僕が主将を務めるなんて誰が予想しただろうか。
恐らく誰1人予想していなかったと思うし、もちろん僕自身思ってもみなかった。
僕が主将と聞いた高校の同期達に明治は終わったと言われたものだ。笑

3年生から試合に出るようになり、来年の事を同期と話し合う中で、なんとなく僕が主将かなとぼんやり思うようになった。

今だから話せるが、スタッフに「僕が主将をやります」と伝えた時、「本当にお前でいいのか?」と言われたのを今でも鮮明に覚えている。
確か3回は言われた気がする。笑
試合に出れないかもしれない人が主将になるということに、栗田監督も不安があったのだと思う。

なぜなら3年次のインカレ。
僕のミスで準決勝敗退が決まった。4年生を引退させたのは僕のプレーだった。頭が真っ白になって、何も考えられなかったが4年生はみんな「来年頑張れ!」そんな優しい言葉ばかりをかけてくれた。
その時、来年このチームを僕が日本一に連れて行くという強い使命感に駆られた。

昨年のインカレ


4年間でこんなにも人は変われるのかとふと大学生活を振り返って思う。
そんなダメダメだった僕を変えてくれたのは明治大学という環境の他ない。
本当に毎日が勉強だった。

僕が入学してから4年間で学んだ多くのことを、みんなには1日でも早く気付き、僕の成長度、経験値なんて比べ物にならないくらいになってほしいと心から思い、今年の1年間を過ごした。

明治大学は本当に能力が高い選手ばかりだ。
しかし成長し切れず、卒業していってしまう人もいるのが現実。
“4年生だから頑張る、最後だから頑張る。”
そうではいけない、一年一年濃く成長した一年を過ごしてほしいと強く思う。


組織が、個々が成長する為に僕が大事にしてきたことが4つある。


ただ漠然と1日を過ごしてしまうにはあまりにも勿体無い。
今は何をするべきか、常に考え続けることをして4年間過ごす事が出来たら、どれだけ成長できるのだろうか。僕は3年になるまで漠然と過ごしてしまったと後悔している。
常に考える習慣をみんなにはつけて欲しかった。

僕はサッカー中、誰に対しても指摘できるタイプで、もちろん先輩にも言うことが出来た。
しかし、真っ向から否定してくる先輩もいたのが事実で、そういう環境からか指摘できない下級生がいた。
もし、この環境が変わり下級生からも指摘できて、それを聞き入れられる上級生がいる組織が出来れば、意思統一ができ、素晴らしい組織になると確信していた。

まずはこの2つをどうみんなに伝えるか、それを考えた末に変えたことがミーティングだ。
主将、4年だけが話すミーティングから、学年関係なくグループを作り、与えられた議題についてディスカッションをする。
一人一人が自分の意見を考えて周りに伝え、それを下級生がまとめて、最後みんなに発表するというミーティングに変えていった。
受動的ではあるが、ミーティング中はいつ当たるかわからない為、常に考え続けることになり、話す機会も必ず全員にある為、伝える練習にもなる。
これを必ず週に一度はミーティングを行った。

ミーティングの様子

だがこれは1つのキッカケにすぎない。
そのキッカケから一人一人が自分に落とし込んでいかなければいけない。
僕は客観的に見て、考えてる人や意見を言える人が増えたと思う。


もう1つ、ポジティブな組織を作りたかった。
僕の経験上ポジティブな組織は、成長度がものすごいという自論がある。
一人一人の性格があって、みんながポジティブシンキングなわけがなく、性格を変えることは僕にはできない。
ポジティブな声かけを徹底したり、いい雰囲気を大切にしようとみんなには語りかけていたが、そう上手くいかなかった。
今年のターニングポイントとなった天皇杯予選vs立正大学戦。
まさかの大敗だった。
翌日同期でミーティングを開いた。
話してる中で責任を感じ泣くものもいた。
厳しさが足りない、このままじゃいけない。
リーグ戦も好調だっただけに、負けた後の対処法を上手く知らなかった僕たちは、今までの雰囲気が緩かったと思い厳しくした。
プレーで下級生に示さないといけないという思いから厳しさを履き違えて、削りあいになってしまった。
これこそ負の始まりだ。厳しさを履き違えネガティヴな雰囲気、文句が出始めた。


その時池上コーチから言われた一言で冷静になれた。
「何のためにサッカーしてるの?始めたキッカケは?」

「楽しいから!!」これに尽きると思った。
楽しい、好きなサッカーだからこそ、ゴールを守る楽しさだったり、ゴールを奪うことの楽しさだったりを求めながら、厳しさを保とうと改めて思った。
その日にまた同期ミーティングを開き、話し合った。
ポジティブにいこう。
その中で厳しさを持たなければいけないところはしっかり言おう。
大好きなサッカーを楽しむようにしよう。

綺麗事に思うかもしれない、正直言葉では上手く伝えづらい…
明治の練習を見てもらえれば、すぐにこの意味がわかると思う。
その日のトレーニングからポジティブな声が出て、雰囲気も良くなり、練習の質が上がったのは事実だ。
この考えが今ではチームに浸透していると思う。練習を外から見ても、上手くいかない時に文句じゃなく、ポジティブにどうしたら良くなるかを話し合っている。
もちろんセカンドチームを見ても同じ考えがもたれている。
僕はこの経験でまた1つ学んだ。
性格を変えることは出来ないけれど、考えを変えることは出来るし、していいことだと。
チームが良くなるにつれて、自分自身もまだまだ成長しなければいけないと感じることが多く、今でも勉強の毎日だ。



最後に4つ目。
過去の4年生を見て同期で話し合い、僕たち同期で約束事ができた。
試合に関われなくても、どんな立場でも4年生としての自覚をもって、サッカーを追求しよう。全員がトップチームで試合に出る為に努力してる姿を行動で示そう、と。

試合に出ている4年生だけが努力してもチームはまとまらない。
1番下の人の取り組みが、その代の象徴だと僕は思う。

僕の同期は、みんなが本気でトップチームで試合に出る為に努力をしている、と胸を張って言える。
事実としてめぐはセカンドチームからトップチームに上がり、リーグ戦の優勝が決まる試合でピッチに立っていた。
そんな同期の行動をみて、今年はトップチームだけでなくセカンドチームの選手、みんながトップチームで試合に出る為に取り組んでくれたと思う。その積み重ねでチームの底上げとなり、今年はタイトルを獲れているのだろう。


今年は総理大臣杯優勝、関東リーグ優勝と二冠を達成した。
厳しい事をいったかもしれない、多くの事をみんなが犠牲にしたに違いない。


明日から最後のインカレが始まる。
日本一の取り組みをしてきたという自負がある。やってきた事が間違いじゃなかったと証明する為にも日本一になり三冠を達成し、真の王者とならなければいけない。

その為にまずは初戦。
自分の与えられた立場でやれることを全うし心を1つに闘おう。
明治なら必ず出来る。


リーグ戦優勝が決定した時のチーム集合写真

2016年12月8日木曜日

ありがとう

ありがとう

4年 野寺里瑛子


こんばんは!
今回部員ブログを書かせて頂きます、
4年マネージャーの野寺里瑛子です。

あっという間に12月になり、
最後の大会であるインカレの初戦が
刻々と近付いています。


入部してからここまで本当にあっという間でした。
4年間と数字で聞くと長いと思いますが、
そう思うのは朝練や休日に行われる公式戦、TRMなど
有無を言わせない程充実した日々を送ることができたからです。

わたしが入部したきっかけは、
1つ上の先輩のマネージャーお二人に声をかけて頂いたからです。
わたしは小さい頃は水泳、中高はバスケットボールと、
マネージャーに縁があった訳ではありません。

2013年4月に入学した際も、
まさか自分が体育会の、しかも日本一を目指す
サッカー部に入部するとも思ってもいませんでした。

本人たちは忘れていると思いますが、
声をかけて頂いたとき、
八谷と室屋がマネ募集のビラを丸めて
それに目をあてこっちを見ていたのを
いまでも覚えています。懐かしいです。

入部を考えていると直接伝えたとき、
最初の質問が、始発に乗って八幡山駅何分に着く?
と聞かれたのも衝撃的で忘れません。

リーグ戦を観に来てほしいと連絡があり
観に行った試合では、1年生ながら、
小出と伊池がスタートで試合にでていたのも覚えています。
そのときに頂いたチケットも今でも大事にとっております。


色々振り返りたいところですが
長くなりそうなので省略しますが、
語り尽くせない程の生活を送ることができたのは
本当に本当に部長をはじめ、監督、コーチ、トレーナー、
そして部員たちがいるサッカー部に出会えたおかげです。

こんなわたしにも「りえこさんー!」と話しかけてくれるかわいい後輩たち、
いまはもう卒業されましたが「おい!りえこ!」と話しかけて下さった優しい先輩方ももちろんですが、
いつもにぎやかな同期の16人の部員たち、そしてマネの平光、徳吉は
わたしにとって本当に大切な存在で宝です。

皆には本当に、たくさんの「ありがとう」でいっぱいです。


今シーズンは信じられいほどの素晴らしい成績を残しています。
「二冠」を達成し、創部初のそして関東勢初の「三冠」を目の前にしています。

紫紺のユニフォームを背負い、
「日本一、三冠」という目標へ向かう
部員全員の姿をぜひ観て頂きたいです。

わたしはその部員全員のために
できることは限られていますが精一杯やり、
心をひとつに、1日でも長く皆と戦っていきたいと思っています。


普段直接では絶対言えないですが、
せっかくなのでここで書かせて頂きます。

みんなのことが大好きです!!!
絶対優勝、三冠しよう!!!


拙い文章ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
想いを文にするのはなかなか難しいですが、
少しでも伝われば幸いです。

明治大学体育会サッカー部を、
引き続きよろしくお願い致します!

たくさんの幸せ

たくさんの幸せ

4年 徳吉夏乃

今回部員ブログを担当いたします、マネージャーの徳吉夏乃です。

部員も多くの役職や役割分担がありますが、
マネージャーの中でも役割分担があり
私はマネージャーの中でも学生連盟の担当としています。

最初は練習に多く参加できず
大会の時も運営でチームにあまり関われないこの役割に少し戸惑いもありました。

しかし、そんな環境だからこそ多くのことを、多くの幸せを、経験できたと今では思えます。

プログラムを作ったり、
表彰式でトロフィーやメダルを渡したり、
リーグ戦のポスターを企業の方と作成したり、
やりたい企画を形にしたり、
海外の子供達と一緒に国際活動をしたり、
楽しいことばかりではなかったですが、貴重な体験そして学連だからこそできた経験でした。

特にリーグ戦を観に来てくださるお客様が
「今年のポスターいいね」とかJリーグの選手がポスターのツイートをリツイートしてくれた時はこの仕事をやっていてよかったなぁと感じました。

部活では
誕生日の日に歌を歌ってくださった先輩、
声をかけてくださる優しい先輩・同期・スタッフの方
いつも選手のために考えて動くマネージャーの先輩や後輩
に出会えたこと。

そして何より同期のマネージャー、萌子・里瑛子に出会えたこと。

こんなにたくさんの幸せな経験をさせていただいたこの環境もあと2週間。
悔いのないよう精一杯最高の運営をしていきたいと思います。

拙い文章ですが最後まで読んでくださってありがとうございました。
是非、会場に大学サッカーでしか観られない学生の全力、感動を観に来てください!!
応援宜しくお願いします。

今の気持ち

今の気持ち

4年 平光萌子

こんばんは!
今回部員ブログを担当させて頂きます、4年マネージャーの平光萌子です。

あっという間に12月になり、私がこの明治大学体育会サッカー部で活動できる期間も残りわずかとなりました。これまですべての部員ブログを読み、何を書こうかとても悩みましたが、今の素直な気持ちを綴りたいと思います。

「一日でも長くみんなと部活をしていたい。」これが私の今の一番の気持ちです。
今シーズン、私はみんなに夢を叶えてもらいました。高校生の頃からサッカー部のマネージャーを務めていた私の夢は「日本一のマネージャーになること」でした。今年の総理大臣杯でその夢を叶えることができました。

大臣杯を戦った あの10日間は毎日が楽しくてキラキラしていて、夢のような日々でした。
…と書きたいところですが、正直とても辛い10日間でした。
大阪の暑さに加え、モチベーションビデオの作成やマネ日記の更新などで睡眠時間は満足にとれず、普段行わないユニフォームや部員の私物の洗濯など、想像以上に大変な日々でした。ですがそれを上回るほどに、部員たちと過ごせた時間はとても刺激的で、チームが日に日に強くなっていくのを近くで見られたことが本当に嬉しくて、毎日ドキドキの連続でした。「行って良かった。頑張って良かった。」と心から思える10日間でした。

日本一になった時、ベンチから見えたのは言葉で伝えきれないほど幸せな景色でした。優勝し喜びを爆発させている部員たちの叫び声も、うれし涙も、トーナメント戦の緊張感から解き放たれてほっとした表情も、キラキラした笑顔も全部全部、今でも鮮明に覚えています。

総理大臣杯はメンバーだけが大阪へ行き、トーナメントを戦いますが、インカレは関東で行われるため、毎日部員たち全員が顔を合わせることができますし、初戦から応援も含め部員72人で全員で戦うことができます。
総理大臣杯で味わった日本一へ勝ち上がっていく、ハラハラ ドキドキ ワクワクの、あの感覚を今度は全員で1戦1戦味わいたいです。

インカレが終わると私たち4年生はそれぞれの道へ進むことになります。
1年生のころ仕事があまりできず、注意されてばかりだった私たちの代があとわずかで引退だなんて本当にあっという間です。毎日のように会っている、みんなと会えなくなる日が来るのが寂しくて、まだまだ引退したくない!というのが今の素直な気持ちです。

ここで簡単に同期のことを紹介します。
楽しいことが大好きで、遠くからでも笑い声が聞こえると「あ、ハチの笑い声だ♪」とこちらまで笑顔にしてくれるはち

誰よりもチームのことを考えて、誰よりもストイックで、優しさと厳しさ両方を兼ね備えた頼れる主将のかんちん

サッカーしてる時とは打って変わって、カメラを向けたときにする一癖あるポーズやしぐさがキュートなあき

ピッチ外ではニコニコ癒し系なのに、副主将としてみんなを引っ張る姿がかっこいい悠太

主務としててきぱきクールな一方、仕事を頼むときにちょっとデレの部分を見せてくるツンデレの早坂くん

マネージャーが前髪切っただけでも気づいてくれる、見た目も中身もイケメンな翼

毎年唯一ホワイトデーのお返しをくれる心優しいめぐ

お調子者に見えて、後輩のことまでよく考えている面倒見のよい政哉

やんちゃで末っ子タイプなのに話すとしっかりしてる意外性のある諒平

汚れ役も率先して引き受けちゃうほど、人が良くてみんなからの愛されキャラの拓也

まじめでひたむきでここぞという時に得点を決めてくれる、頼もしいストライカーの詩温

ふとした表情、動き、発言、全部に可愛らしさと面白さが詰まってる真司

きついメニューの時、誰よりも声を出して後輩を励ましたり、マネにも積極的に話しかけてくれたり気遣いのできる和田くん

人見知りでシャイな部分があるけど心を開くとニコニコして人懐っこい豪

会うたびに「彼氏できた?」とバカにしてくる一方で、ちょっとした発言が物事の本質をとらえている頭のいい野田くん

プロ意識は高いのに飾ってなくて、コミュニケーション能力抜群の成

細かい気配りと丁寧な仕事がマネ内No.1の里瑛子

学連だけで大変なのにマネの仕事も完ぺきにこなす頑張り屋さんの夏乃


彼氏がいないだの、ほっぺたの肉が増えただの、全力でいじってくるけど、なんだかんだ優しくて、サッカーに対して一生懸命でかっこいい部員たちと、3人で遊ぶと私をお母さん扱いして、自由気ままだけど、一緒にいて誰よりも楽なマネ2人、私はこの18人の同期が大好きです。

この大好きな同期と、しっかりしていて頼もしい3年生、元気いっぱいでパワーのある2年生、どこか抜けているけど一生懸命な1年生、全員で一日でも長く部活をして、最後、インカレで優勝して、3冠を獲って今シーズンを終えたいです。

毎日のように部活をしていると、忘れてしまいそうになりますが、今ここでマネージャーができていることが、とても幸せなことだという事を忘れずに、残りの1日1日を大切に過ごしていきたいです。
マネージャーを務めて7年経った今でも、練習後はあの時水配ってあげればよかったかな、とかボール出しうまく出来なかったな、とか反省だらけです。わーわーうるさいし、試合の前日は緊張で寝れないし、まだダメダメなマネージャーですが、少しでもみんなの力になれるよう、日々の練習やマネ日記の更新、ベンチでのサポートなど全力で行なっていきたいと思います。

拙い文章ですが最後まで読んでくださってありがとうございました。少しでもみんなへの気持ちが伝われば幸いです。
選手たちは今日も元気に朝練習をしていました!インカレに向けて着々と準備は整って来ています。
出場する選手だけでなく、ベンチ、サポート、応援、全員で一丸となって一戦一戦を大切に戦います。
ぜひ会場で選手たちの姿をご覧下さい!!
引き続き応援よろしくお願いします!

感謝の気持ちを

「感謝の気持ちを」

3年 マネージャー兼学連
笠原 惇

こんにちは。
3年マネージャーの笠原と申します。
この度はこのような機会を設けていただき誠にありがとうございます。
まず、簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。
千葉県の八千代松陰高校出身です。小学2年生から高校3年生までの11年間は私も選手としてサッカー漬けの毎日を送っていました。
しかし、高校の3年間でAチームの公式戦のピッチに立ったことは一度もありません。
それどころかベンチに入ることができたのも一度きりのことでした。
お世辞にも充実したと言えるサッカー人生を送ってこなかった私ですが、
小さい頃から思い描いていた“サッカーを職にしたい”という想いが消えることはありませんでした。
寧ろ、高校時代に選手としての限界を突きつけられたことでより一層、選手以外でのサッカーへの関わり方を深く考えるようになり、
そのことが現在の自分を作り出しているのだと思います。
日本トップレベルの大学の体育会サッカー部の学生スタッフとなること、
それが当時の私が考え得る夢への1番の近道でした。
右も左もわからない状況でしたが、
夢を叶えたい一心で明治大学体育会サッカー部の門を叩きました。
2ヶ月ほどの試用期間を経て、創部初となる男子マネージャーとしての入部を認めて頂けることができました。
入部のきっかけこそ、サッカー界で働きたいという自分の夢のためではありましたが、
現在の自分の仕事に対する思い、考え方は違います。
まず、様々な活動を通して自分も明治大学体育会サッカー部の部員であるという自覚を持ったことにより、仕事への責任感が生まれていること。
また、本来であれば自分が経験することなどができなかった日本一になる経験ができたことや、こんな自分にもその一員であると心から実感させてくれる明治大学体育会サッカー部という組織に対する感謝の気持ち。
この感謝の気持ちから、如何に自分が役に立てるか、恩返しができるのか、そのようなことを考えるようになりました。
その中で私は、学連という立場から
選手のみんなに最高の舞台でプレーをしてもらう。
という結論に至りました。
すでに昨日から始まっているインカレ、
私は皆より一足早く運営が始まっています。
学連である私は問答無用で決勝までインカレは続きます。
今シーズン、最後まで皆と共に活動ができると信じております。
そして今大会、自分が演出を担当した決勝で、皆んなと最高の瞬間を迎えるために今日も準備して参りたいと思います。
稚拙な文書ではありましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
いよいよ、12月10日(土)より今シーズン最後の大会インカレが始まります。
是非とも会場にお越しください。
ご来場お待ちしております。

I play for 4年生

「I play for 4年生」

3年 山崎浩介




あと2週間も無いのか、あっという間。
最近4年生といるとつい思ってしまう。
一緒にいた3年間は長いようで本当に短かった。

まず仕事から教わり、恒例の校歌と部歌のテスト。
4年生(当時2年生)は仕事が出来ず髪の毛が無くなりなり、外出禁止にもなってしまう。徐々に嫌な雰囲気が寮内に漂っていくのを感じた。それでもSNSにふざけてる写真載せちゃったり、ミーティングで同期で言い合ってるのも側で見てきた。自分達も仕事の事で集められ叱られたこともよくあった。だけど仕事交代を告げられた時のみんなの表情は今でも忘れられない。あの時はきついことがたくさんあったけれど今は全部が良い思い出。
個性それぞれの4年生がいると寮はいつも賑やか。むしろうるさい笑
1人がイジるとみんなそれに乗っかって全員でイジったり、後輩が大好きでいちいち絡んできたり、毎回イベントごとに集合写真を撮ったり、合宿のときには4年全員で露天風呂入ったり、こんなにも仲の良い学年がいなくなると思うと今となっては正直寂しい。

そんな4年生が「一心」というスローガンを掲げ、最終学年となった今年。
上級生という立場でより身近になった分、学ぶべき点が多かった。
取り組む姿勢、三原則の部分やプレーの質はもちろんだが、トレーニングのメニュー間や休憩してる時の周りからの声、ポジティブな声かけなどそういう些細な発信をすることが雰囲気を変えたり、試合でちょっとした差に出るんだなと気づかされた。
ミーティングの内容も変わった。下級生が発言しやすいようにしてくれたり、チーム全体としてより意思統一が出来るようになった。
今季のターニングポイントとも言える天皇杯予選の立正大戦に敗れた後の4年生ミーティングで泣いている人もいるのを見て、同期で言い合える大切さ、しかも最上級生が本音で言い合える集団て大事だなと感じた。
このような積み重ねが今年のチームを一つに築き上げ、ここまで二冠出来た一つの要因だと思う。
あっという間に4年生と一緒にプレー出来る時間はもう限られてきてしまった。もっと一緒にサッカーしたいし、もっとふざけ合ったり、笑いあったりしとけばよかったという後悔もまだまだあるが、今までの3年間の感謝を胸に秘めて、後の残り少ない時間を大切にしたい。
三冠まであと一冠。
総理大臣杯、リーグ戦で優勝したときのあの4年生の涙、笑顔がまた見たい。
最後にまた全員で喜び合いたい。
その為に全員で最高の準備をしよう!!


気づく大切さ

気づく大切さ
 
3年 長津大祐






 私は、昔から物事を考えずに目の前の事だけを考えて生きていたと大学に来て痛感しました。一年生の時の雑務や上下関係の厳しさは高校時代に主将をやっていて自分の中ではわかっているつもりでした。
 大学入学後、当番や夜当という仕事があり、なんだこの仕事の量はと正直驚きを隠しきれませんでした。最初はすぐにできると思い次の日を待つだけの毎日でしたが同期や先輩方に長津、長津、長津…と何度も呼ばれなぜできないのか悩む日もありました。二年生になり下級生ができると責任感が少し芽生え自分の中で変わらないといけないと言う思いが生まれました。しかし、心の中にいるもう1人の弱い自分が出てきてしまい、手を抜いたり、バレなければいいという行動が出てしまい同期に迷惑をかけた事は一生忘れません。ここで普通ならあいつなんかもういいだろ、ほっとこうぜとなる集団もあるかもしれません。社会に出ればそれが当たり前の世界だと今は気づいていますが、あの頃はまだ気づいていませんでした。先輩方に気づかされ、同期に気づかされる内に自分のダメな所が少しずつわかってきました。中学と高校では気づけない大事な事を気づかせてくれる明治大学体育会サッカー部の組織に感謝し、これからは自分で先に気づき周りに気づかせられる存在になれるように残りの時間を大切に一心になってプレーしていきたいと思います。

2016年12月7日水曜日

経験と環境に感謝

「経験と環境に感謝」



1年 宮岡龍之介

こんにちは。
一年の宮岡です。


早いことにあと少しで大学一年生が終わろうとしています。
私は入部してから様々な経験と実感を
しました。


1つ目は、一人暮らしをしていることです。

私の毎日は朝練のため4時過ぎに起きることで始まります。
練習をして学校へ行き帰宅して洗濯をし、夕飯を作って食べ、部屋を掃除します。
一人暮らしを始めた当初はあまりうまくいかないことが多かったのですが、今では慣れてきたように思われます。


2つ目は明治大学体育会サッカー部の環境の素晴らしさです。

朝からサッカーの練習ができること。
家からグラウンドにすぐ行けること。
家から学校が自転車で通えること。

これらはサッカーに打ち込み、しっかりとした学生生活を行う上でとてつもなく素晴らしい環境だと思います。

なので、私はこのような経験と環境に感謝をし、4年間でしっかりと成長した姿をみせられるように頑張りたいと思います。

1年間を振り返って

「1年間を振り返って」



1年 芹澤徹郎

こんにちは。1年の芹澤です。
とてもシンプルな事ですが、自分なりに1年間を振り返って強く思った事を書きたいと思います。


去年の今頃は明治大学に入学するための受験勉強に明け暮れ、1日10時間以上も机に向かっていました。元旦1月1日でさえ、友達の初詣の誘いを断って勉強していたのを覚えています。(笑)


そんなこんなでなんとか明治大学に入学が決まり、かねてからチャレンジしようとしていた明治大学体育会サッカー部の門を叩きました。
練習生としての期間を乗り越え、入部が決まると、それからの日々は息つく暇のない想像を越えることの連続でした。
サッカーのレベルの高さはもちろん、責任感の求められる仕事、厳しい上下関係、一人暮らしの大変さなど数え出したらキリがありません。
受験勉強やこういった厳しい環境の中での生活で1年間いろいろな経験をした今の自分は1年前に比べて多くの面で「成長」したと実感しています。ですが、それ以上に1年間を通して自分の未熟さや悔しさを強く感じる年にもなりました。


この悔しさをバネに、残り少ない今シーズンでさらに成長率を上げて成長できるよう
いろいろな人の支えに胸を借りながら努力を続けていきたいと思います。

欲しい物はなんですか?

「欲しい物はなんですか?」



1年 岸本海輝

普段の生活で唐突に問われたら皆さんはすぐ答えることが出来ますか?お金とか洋服とかでなく本当に欲しい物って、なかなか思い付かないですよね。


僕は出来ず、考え込んでしまいます。かなりな優柔不断なんで、答えが出せないかもしれません。皆さんの中でも、答える事が出来る人は少ないのではないでしょうか。
しかし、誰しもが即答出来る時があります。それは、挫折した時です。その時は、壁に当たりそれを乗り越えるため、答えを探し、もがき苦しんでいる時です。そんな挫折について話そうと思います。


挫折は苦しいです。当たり前です。なぜなら今挫折しているのは今まで挫折してこなかったツケが回って来てるのだから。今の僕はこんな状況です。
初めてのブログなので少し自分の話をさせて下さい。


僕は明大中野八王子高校(以下「明八」)サッカー部を経て明大サッカー部に入部しました。明八は決して強豪ではなく、知らない人がほとんどだと思います。全国大会なんて遠い話で東京のベスト16までしか進めませんでした。
しかしそこでキャプテンをやらせてもらった僕は多くを学び、そこで過ごした3年間は、大きく僕を成長させてくれて、僕の根幹となっています。本当に良い高校時代でした。楽しかったです。
ただ、足りなかった物があります。それが挫折です。


ここで本題に戻ります。
僕は高校時代挫折する事が出来ませんでした。なぜなら上の世界を知る術が無かったからです。僕らのようなチームは、全国トップクラスのチームと試合をする機会がなく、彼らをテレビやスタンドから見る事しか出来ませんでした。大学に行き、その彼らを前にして、初めてその世界を感じました。この時が僕のサッカー人生の中で最大の驚きで挫折でした。ほんとびっくりでした。もっと早くからこの世界を知っていたら今の自分は違ったんじゃないかと思います。しかし、今僕は今を生きています。


長い人生の中で僕はまだ18歳。この段階で大きな壁に当たれた事はとても幸せな事。普通の部活生が日本一のチームに。こんな経験を今年出来たのは僕ら明大サッカー部一般生4人だけ。これほど最高の苦境はどこにもありません。僕はこの状況を楽しまないといけません。


頭では分かっているのですが、やっぱりもがく事は苦しいんですよね。中々そのメンタルに辿り着きません。ただ、必死にしがみつきここで4年間を終えるという決意は出来ています。この環境で得る物は必ず人生の大きな財産になります。入部してまだ8カ月ですがこれは確実な事です。


ちょっと暗い内容になってしまいましたがサッカー部で過ごす日々は刺激的でめちゃくちゃ楽しいです。先輩も同期も良い人ばかりでこんな風に毎日悩んでるわけではないですよ。


長くなりましたが僕の言いたい事は、挫折はするべきものだという事です。早いに越したことはありません。どんどん挑戦して何回も挫折してその度自分の欲しい物を見つける事が成功に繋がるはずです。


拙い文章でしたが読んでいただきありがとうございました!
これは自分が感じた事であり、後輩に伝えたい事でもあります。僕のこの経験が少しでも伝わればいいなと思ってます。


2016年12月4日日曜日

私の誇り

私の誇り
3年 大橋奈菜恵

こんにちは。3年マネージャーの大橋奈菜恵と申します。今回は、このような機会を設けていただき、ありがとうございます。

私は栃木県出身で、小学校4年生から高校3年生までバレーボールに所属し、高校時代は部長を務めました。大学で何をしようか考えていた時に、高校2年生から同じクラスで仲の良かった、同期のマネージャーである高槻からサッカー部のことを聞き、全国レベルで頑張る選手を支えたい!と強く思い、サッカー部のマネージャーになることを決めました。

明治のマネージャーの決まりごととして、
茶髪、ネイル、ピアスは禁止されています。朝は5:30にグラウンドに向かい、練習中は10キロ以上の水を担いで、選手に水を渡します。雨の日も雪の日も、どんなに風が強くても自分の担当の練習にいき、選手をサポートします。
その話をすると、色々な人に、なんでマネージャーやっているの?大変じゃないの?と聞かれます。
私は大変だと思ったことはないです。
髪を染めたりネイルをしたり、平日に遅くまで友達と遊んだり、夏休みには旅行に行ったり。。大学生が当たり前のようにできる事は出来ないかもしれません。でもそれ以上に、体育会サッカー部じゃなかったら、出来なかった事、経験できなかった事の方が沢山あると自信を持っていう事ができるからです。

本気で日本一になりたいと思うことも、
日本一になるのがどれだけ大変か知ることも、本当に日本一になることも、
サッカー部じゃなかったら出来ない経験でした。部員は、背が高くて体がゴツくて、集団でいると怖そうに見えるけど、みんな優しくて面白くて、可愛い一面があるということも知る事ができなかったかもしれません。こんなにも素敵な先輩、同期、後輩に出会う事ができて、私は本当に幸せです。

日本一になる事がどれだけ難しく、努力のいるものであるか、選手を近くで見てきたからこそよくわかります。でも今の明治サッカー部は3冠をとるための準備ができていると思います。
大好きなこのメンバーで、日本一になる瞬間をもう一度見たいです。
インカレは4年生のマネージャーがベンチに入ります。3年生である私にできる事は、選手を信じる事と、最高のマネージャー日記を更新する事だと考えています。微力かもしれませんが、選手のためにできる精一杯のサポートをしていきたいと思います。そして来シーズンは、最高学年として、同期の高槻と最高のマネージャーになりたいと思います!今後も、明治大学体育会サッカー部の応援をよろしくお願い致します!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

マネージャーって不思議

「マネージャーって不思議」
 3年 高槻朱香

はじめまして。3年マネージャーの高槻朱香です!せっかくのこの機会に、「マネージャー」という集団について書かせていただきたいと思います。

明治大学サッカー部では、マネージャーが良い意味で独立しています。監督やコーチからこの仕事をやるように言われたりすることも特にありません。つまり、私たちは必要だと思えば仕事を増やすことも、いらないと思えば仕事を削ることもできるのです。仕事の枠が決まっていないため、チームから信頼してもらえれば、より多くのことを任せてもらえるようになります。
実際に、私が1年生の時に比べて、今は仕事が多様化しています。集中応援の企画に関わらせてもらったり、部員の体重などのデータ管理も任せてもらえるようになりました。これは、先輩マネージャー達が努力し、少しづつ信頼を得てきた結果だと思っています。


ここで、高校までの私について少しだけお話しします。
朝がとんでもなく苦手で毎日母に起こしてもらい、周りに気を使うということも特に意識せず、家事も積極的に手伝うことはない。ひどい生活ですね。
そのおかげで、大学入学当初はかなり苦労しました。起きるには爆音の目覚まし2つにスマホのアラームを5分おきに1時間セット、洗濯機は引越しの日に母に使い方を教えてもらい、カレーを作ろうとしたら鍋から50cmくらい火柱があがった、という感じです。部員のお世話なんかできていなかったと思います。
そんなダメダメな私でしたが、先輩たちからたくさんのことを学び、同期の大橋の優しさに助けられながら、なんとかここまで来ることができました。


なんだか偉そうに書いてきてしまったような気もしますが、私自身まだまだ立派なマネージャーとは言えません。いまだに失敗もするし、先輩や同期から指摘されることもあります。でも、見違えるほど立派になったね、と言われるくらいに成長したいです。
マネージャーって不思議です。決められた仕事はないし、いなくてもサッカーはできます。しかも、いたからといって試合の勝敗に直結することもありません。でも、だからこそ、「マネージャーの力があったから勝てたよ」と心から思ってもらえるような存在にならなければと思っています。

今年もインカレを残すのみとなりました。私たちの仕事は、優勝に相応しい努力をしてきた選手たちの背中を、最後の最後まで押し続けることです。少しでも長く、大好きなみんなの必死に戦う姿を見たい、見られると信じています!!

会場で、応援してくださる沢山の方にお会いできることを楽しみにしております。
最後までご拝読いただき、ありがとうございました!

2016年12月2日金曜日

初心勿忘(初心忘る勿れ)

「初心勿忘(初心忘る勿れ)」


4年和田勇樹


4年の和田勇樹です。
もう12月に入り、今季も残された時間はごく僅かになりました。
4年生の僕にとって今季の終了は明治大学体育会サッカー部の引退をも意味します。

僕は明治大学の付属高校である明治大学付属明治高校出身で、一般生として入部をさせて頂きました。
同期の中でも最後の入部で4ヶ月の練習生の期間を経て、6月4日に入部しました。

6月4日ともなればリーグ戦も始まってかなり経っていましたし、練習生の仲間が続々と首を切られ、巽と野田を含めもともと12名いた練習生も自分が最後のひとりとなっていました。
練習中には当時の神川監督に「練習生なんて練習の質下げるだけだから辞めろ」「一般生なんて要らない」と毎日罵られ、いつ首を切られるのか不安になりながら過ごした記憶しかありません。

僕は実家から通っていることもあり、毎日どんな天候の中でも16㎞の道のりをバイクや車で早くて30分、時には60分ほどかけて通い、そのため朝も1年生の頃は3:50に起きていましたし、今でも4:20には起きています。

こんなに様々な障害があったのにも関わらず、明治大学体育会サッカー部に入部してサッカーをしたいと思える環境や選手がここにはいましたし、今もそれは変わっていません。

6月4日に入部を許可されたときは手が震えるほど嬉しかったし、当時の神川監督の握手は今でも鮮明に記憶に残っています。

そのサッカーを純粋にしたいと思った気持ちを忘れていた時期も正直ありました。

タイトルに格好つけて『初心勿忘』と書きましたが、簡単に言えば初心を忘れてはならないという意味です。
僕で言えば、色々な苦労や犠牲を払ってでもこの明治大学体育会サッカー部でサッカーをしたいと思いましたし、その中で全国優勝をしたいと思って今までやってきました。

それはきっとどんな選手でも同じで、サッカーを始めたときや入部したときに思っていた目標や感情があったと思います。

あと今季も3週間を切りました。
残された時間で自分自身が何をできるのか。
もちろん自分自身に対しても、チームに対しても、後輩たちに対してもできることはあると思います。
各々がもう一度今季が終わった際に後悔が残らないように残りわずかな期間をしっかりやりきる。
ただこれに尽きると思います。


今季も残りインカレのみです。
このメンバーではMAXでもう4試合しかできません。
みんなで1戦1戦勝ちを積み上げ、4試合を戦い、3冠を達成しよう!!


追伸:拙い文章で読みづらい部分も多々あったと思いますが、何卒御容赦下さい。


2016年12月1日木曜日

「律すること」「感謝」





「律すること」「感謝」
2年 渡辺悠雅

この明治大学体育会サッカー部に入部して色々なことが変化しました。
寮生活であったり朝練、そしてレベルの高いサッカー選手が集まっている組織に身を置けること、大学に入学して初めてのことばかりで慣れるのに少し時間がかかりました。
その中で高校からずっと大事にしてきているものがあります。それは「律すること」と「感謝」です。
律するというのはしてはいけないこと、しなくてはならないことを考え行動していくことです。いつも目標から逆算して今しなければいけないことを常に考えるようにしています。もう一つは感謝です。これは文字通り今こうしてサッカーをやれていることは当たり前でなく親の力や沢山の人の力で成り立っています。そのことを忘れずプレーするのを心掛けています。
この二つのことを常に意識し自分自身サッカー的にも人間的にも成長し今年の目標である三冠をこのチームで成し遂げたいと思います。
応援よろしくお願いします。

感謝、恩返し








こんにちは。
明治大学2年の山上渓吾です。

北海道から上京してきて、もうすぐ2年が経ちます。
あっという間の2年間でした。

この2年間、サッカー部の活動や学校生活、学連の活動など様々な経験をしたり、様々な人と出会ったりし、多くのことに気付かされました。

文武両道を謳い、ピッチ内外においてとことん追求する。
明治大学体育会サッカー部のこの素晴らしい環境の中で過ごせていることは本当に幸せなことです。
また、こうして何不自由なくサッカーができ、学校に行くことができ、生活ができている。
当たり前のことではないし、家族や多くの支えてくれている方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

この感謝の気持ちをピッチ内外において成長し、恩返しがしたい。


そのために、今なにをすべきか考え、行動し、もっと成長スピードを上げていく。
そして、支えて下さっている多くの方々にピッチ内外において活躍し、必ず恩返しをする。

たかが2年、されど2年




ご拝読頂きありがとうございます。
拙い文章になりますが、最後まで御一読いただけたら幸いです。


2年マネージャーの吉光寺です!
「どこかのお寺の娘?」と聞かれることも、「吉祥寺住み?」とボケられることもありますが、残念ながら吉祥寺ではない東京生まれで東京育ちの者です。
この苗字のおかげで、良くも悪くも目立ってしまいますが、なにか秀でた能力を持っているわけでもありません。


ただ、一つ胸を張って言えることは「明治大学体育会サッカー部に入りたい!」とこんなにも強く思っていた高校時代を送っていたのは私だけではないでしょうか。

中3の時に兄のインハイを見に行き、兄の得点で青森山田高校に勝ったことがきっかけで、サッカーを本気でしている人の力になりたい、マネージャーをやりたいと強く思いました。

高校が付属校であったため、高1の時点で大学サッカーへの憧れを抱き、暇さえあればリーグ戦や天皇杯予選を観に行き、大学サッカーの魅力をひしひしと感じていました。



入部が決まった時は、とても嬉しかったです。
4年間頑張るぞ、と。最初は高校のサッカー部と違うところがあり戸惑いもありました。
今2年目が終わろうとして、何ができたかと言われれば胸を張ってできた、と言えることはないです。
たかが2年、されど2年。きっと短く感じるんだろうなと思いますが、
入った時の嬉しさを決して忘れずに、あと2年間何か爪痕を残せるように、部活に良い影響を与えられたらなと思います。
先輩マネから学べることをたくさん吸収し、同期の江戸梨沙子と切磋琢磨し、後輩マネに支えられながら、有意義な時間を過ごしたいと思います。
個性の強い2年生に元気をもらいながらも、あと2年間頑張ります!



そして最後に、4時に起きて朝ご飯を作ってくれる母、雨の日に駅まで送ってくれる父、サッカーの魅力を教えてくれた兄にとても感謝の気持ちでいっぱいです。
体の弱い私は実家暮らしで本当に良かったとすごい思っています!





ありがとうございました。
これからも明治大学体育会サッカー部への御声援宜しくお願い致します。






優しさとあたたかさ



日頃より明治大学体育会サッカー部を
応援していただき、ありがとうございます。
この度、マネージャーにも部員ブログを書く機会を与えて下さった事に感謝しています。

私は新潟県新潟市出身です。
現在は一人暮らしをしています。
小さい頃から憧れを持っていた「東京」ですが、いざ上京してみると、いっぱいに広がる田んぼや私の母校である新潟明訓高校、そしてその中にある大切な思い出がとても恋しく、いつも帰省する日を待ち遠しく思っています。

私は2人姉妹の長女として生まれ、何不自由なく、のびのびと両親と祖父母に育てられてきました。親元を離れるまでそのありがたさがわからず、両親とは何度も衝突していました。例えばテレビのチャンネル争いやお気に入りの靴下が乾いていないことなどなど、今考えると呆れてしまうほどくだらないことばかりです。それでも両親は生意気な私をしっかりと叱り、見捨てずにここまで育ててくれました。特に、喧嘩をした次の日の朝、いじけている私に対し変わらぬ様子でおはようといってくれる父と、お弁当を作ってくれている母の姿には優しさとあたたかさを感じていました。

私は高校生の頃からサッカー部のマネージャーをしていますが、その時から今まで常に大切にしていることはその優しさとあたたかさを持って部員と接することです。実際に私が優しく温かみがあるマネージャーかはわかりませんが、
両親が教えてくれたおかげで私自身、楽しく部員のサポートができていると思います。これからも優しさとあたたかさを大切に、少しでもみんなにそう感じてもらえるよう過ごしていきたいです。

最後に、ふざけながらもいつも私を気遣い、最後には胴上げをしてくれた高校のサッカー部員と、何もしてあげられていないけれど、いつも優しく接してくれて、これからの成長が楽しみな大学のサッカー部員に出会えて、私は本当に幸せ物です。サッカーによって出会えたこのかけがえのない出会いを大切に周りに支えられながらサッカー部のマネージャーとして成長したいと思います。そして、同じ学年のもう1人のマネージャーの吉光寺ともこれからも協力し合い頑張りたいと思います。

稚拙な文章でしたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。マネージャー日記でまたお会いしましょう!



マネージャー 江戸

2016年11月28日月曜日

ここから


「ここから」


1年 岡郁樹


こんにちは。
一年の岡郁樹です。

僕がこの明治大学体育会サッカー部に来て、8ヵ月が経とうとしています。
自分にとってはあっという間の8ヵ月でした。

8ヶ月で感じたことは沢山ありますが、やはり一番強く感じたのはサッカーのレベルの高さです。
特に守備面では原理や原則も理解出来ておらず、今も苦労しています。
それでも、入部当初と比べて成長したという確かな自信もあります。
これから、皆を追い抜けるようにもっと上手く、強くなりたいと思います。

自分が卒業する時、一年生の時と比べ、サッカー選手としても勿論、人間としても見違えたと言われるように日々頑張って行きます。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

はじめてのマネージャー


「はじめてのマネージャー」


 1 森下龍矢


これまでジュビロ磐田の下部組織で育ってきた私はマネージャーがいるサッカー生活を経験したことがありません。
そんな私は多くの憧れを抱いていました。
「憧れの森下さんがいるから私、サッカー部のマネージャーになったんです。」みたいなベタな恋愛系の夢を何度見たことか
漫画の読み過ぎかもしれません。
こんな憧ればかり常に抱いています。

しかし、こんな私にも1つまともな憧れがあります。
それは、高校サッカー選手権とかでマネージャーも一緒になって涙を流したり、勝ちを喜んだり、嬉し涙を流したりしている姿です。
いつもテレビで見ていましたが、熱いなー!!と思っていました。

明治大学サッカー部のマネージャーの方達は重いボトルを持ってグランドを走り回っています。
怪我をしたらすぐにアイシングを作ってくれます。
朝すごく早いのにおにぎりを作ってくれます。
本当に感謝しています。

明治大学に入ってサッカーや人間関係の厳しさを寮生活や日頃の練習を通して感じます。
そして、常に色んなところから新たな刺激を受けています。
その中でもマネージャーの存在は自分にとって新感覚な刺激です。
明治大学サッカー部はピッチに立つ者だけでなく、それに関わる全ての人の力で戦っているのだと感じさせてくれます。

たくさんの人が応援してくれている明治大学サッカー部で日々過ごしていると色んな人から色んな種類の刺激を受けます。
ものすごく楽しいです。

私はサッカーが下手くそです。
でも、コツコツ取り組んで学んでいって最終的には全国制覇を賭けた試合に先発フル出場してアグレッシブな私のプレースタイルを披露したいです!!!
頑張ります!!!

マネージャーの方々いつもありがとうございます!!


最後まで読んで頂きありがとうございました。

勝つために生まれてきた

「勝つために生まれてきた」



1年 東山亮



 「君達は勝つために生まれてきた」
これは僕の尊敬する、とても偉大な先生から告げられた言葉であり、使命です。

人は勝たなければ何も得られないと思います。
学校のテスト。受験。就職。そしてサッカー。
自分もセレクションで他の選手に勝つことによってヴェルディに入り、カテゴリーを上がり続け、明治大学体育会サッカー部に入る事が出来ました。

全てにおいて勝つことを目指して闘い、勝たなければ、自分の目標を叶えることは出来ないとこれまでの人生で強く学びました。


話は少し変わり、さっきは自分が勝負に勝ったことをいくつかあげましたが、この19年間負けた事も何度かありました。
高校3年のユース最高学年の時、スタメンを奪われ、奪い返せなかったのは、自分自身にとって大きな敗北でした。

 厳しい事をいうと、勝つことは全てだと思います。
テストでどんなに良い点数を取れても、サッカーでどんなに良いプレーをしても、他の人に点数で負け試験に合格できなければ目標の学校に行けないし、試合に勝たなければ次のステージに上がることが出来ないからです。

 しかし、僕は高3でスタメンを奪われたその敗北の最中で、誰もが憧れ自分自身も一番入りたかった明治大学体育会サッカー部の狭き門を通り抜けました。

 何が言いたいかというと、確かに全ての勝負に勝てることほど素晴らしいことはないけれど、たとえ負けてしまったとしても、最後に勝って自分の目標を掴みとれば、その負けは勝ちへの過程に過ぎなかったということです。

明治に入ることが僕の夢ではないので最後の勝負というと少し大袈裟ですが、人生を分ける1つである進路決定の最後の勝負に僕は勝ちました。


自分の掲げた夢や目標を叶えるためには険しい道があると思いますが、それから逃げずに打ち勝つ事が大事であり、その人の使命だと思います。
僕は誰にも何にでも負けたくありません。
よく友達に「どんだけ負けず嫌いなんだよ」と言われますが、僕は負けることが好きな人の気持ちがわかりません。

 僕が常に勝負に勝ち続けてきたわけでも、勝負から逃げずに生きてきたわけでもないので偉そうな事は言えませんが、この文章を読んで少しでも目の前の勝負から逃げずに挑戦しよう、勝負に勝つことにこだわろうと気持ちに変化があったら嬉しいです。


あまりまとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。
応援よろしくお願いします。

2016年11月25日金曜日

初体験


「初体験」

4年 山本真司


(注)長文の為、読む気がなくなると思いますが、
最後の思いだけでも読んでいただけたら幸いです。


こんばんは。
4年の山本真司です。
東京にも雪が降り、私の大好きな冬がやって来ましたね。


そんな私が今回ご紹介したい初体験は、「地獄のように熱い夏」です!

私は、北海道の高校からこの明治大学に入学して来ました。
18年間、北海道を出たことない私がまず一番に恐れていたのが、なんと言っても「暑さ」です。
初めての東京、初めての人工芝での練習の日々。

そんな中、私の体に異変が…  左足第五中足骨骨折という人生初の大怪我をしました。
そして手術をすることになった私の左足。もちろん手術も初めてです。
不安もありながら、無事私の初手術は大成功に終わりました。

そして、毎日のリハビリを経て、嬉しさ2割、不安8割で迎えた復帰の日。
不安は的中。東京の真夏、4ヶ月の離脱。
4対4  2フリーマンのポゼッションの練習で私は疲れ果てていました。

目の前は真っ白、頭はクラクラ、喉はカラカラ、そんな私に三浦コーチから「お前デ◯だからグラウンド走っとけ‼︎🏃💨」という「熱い」指導を頂きました。
そしてその1週間後には、FWのくせになかなかゴールへ向かわない私に、再び三浦コーチから「お前のゴールはラグビー場か‼︎🏉」という「熱い」喝を頂きました。

私のサッカー人生でこんな事を言われたのは初めてです。
恐らく三浦コーチもこのような事を言ったのは初めてでしょう。
今となってはとてもありがたいお言葉を頂いたと思っております。
というような私の初めてだらけの熱い夏でした。


あれから時は流れ、私も4年生。
あと2週間後には大学最後のインカレが始まり、それが終われば私のサッカー人生も幕を閉じます。
初めて日本一を経験した今年の「熱い夏」。夏も好きになりました。

そしてもう一度、この仲間たちと日本一を掴み取り、明治大学体育会サッカー部に関わる全ての方が喜びの笑顔で終われるように、私が体験したことのない最高の「熱い冬」にしたいです‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⚽️


長文になり申し訳ありません。
これからも応援よろしくお願いします。

普段はとっても優しい三浦コーチと一緒に
撮影したオフショットです☆
山本、三浦コーチ、野田、和田、袴田、辻

2016年11月24日木曜日

憧れ

「憧れ」

1年 渡邉さくら


今回部員ブログを書かせていただくことになりました1年マネージャーの渡邉さくらです。


私は家族の誰かがサッカーをやっているとかサッカーが好きだという訳でもなく、どちらかというと父も母も兄もテニスをやっていたテニス一家でした。
中学2年生の頃、友達に誘われてJリーグを見にいきました。
初めて生で見た試合はすごく楽しくて面白くて、サッカーを好きになりました。
それからJリーグや高校サッカーを観にいくようになりました。

中学3年生の頃、私の従兄弟が別の大学の体育会サッカー部に入部したことをきっかけに大学サッカーという存在を知りました。
高校でマネージャーをやろうとも考えたことはあったのですが、中学3年間続けてきたテニスを辞めるのはもったいないと思ったのと、中学1年生の頃からずっとダブルスを組んでいる子ともっと頑張りたいと思ったので、高校ではやらず大学生になったらやろうとその時に決めました。
なので、高校生の頃はマネージャー日記が更新されるたびに読んで、憧れていたのと同時に自分もここで頑張りたいとずっと思っていました。


高校を卒業し、従兄弟に相談してみました。
少し驚いたようでしたが、「すごく大変だと思うけど、やりがいはあるだろうし4年間やり切ったらすごいと思うよ」と言われました。
ずっと憧れていたし、なりたいと思っていたのですが、本当に自分にできるだろうかと不安を抱いていた私の背中を押してくれたように感じました。

そして、大学生になり現在マネージャーとして明治大学体育会サッカー部に所属させていただいています。
大変ではありますが、選手がストイックに練習しているのを近くでサポートすることができるマネージャーというものに心の底からなれてよかったと思っています。


拙い文章ではありましたが、読んでくださりありがとうございました。
これからも明治大学体育会サッカー部をよろしくお願い致します。

サッカー

「サッカー」 
 
1年 佐藤帆奈美


 
平素は大変お世話になっております。
商学部商学科1年 マネージャーの佐藤帆奈美と申します。
今回はこのような機会を設けていただき、ありがとうございます。
少しだけ自己紹介をし、部員ブログとさせていただきます。


 
家族の影響もあり、私は昔からサッカーが好きでした。
小学生の頃は3つ下の弟、地元のサッカーチームのコーチをやっている父親と一緒に
近くの公園までボールを蹴りに行くこともありました。



時間的、経済的に余裕のあった高校時代は、Jリーグをただひたすら観て過ごしていました。新しい手帳にはまず初めにサッカー観戦の予定を書き込み、毎週のようにスタジアムや練習場に足を運びました。
時にはアルバイトで稼いだお金で夜行バスや新幹線の予約をとり、遠くの地まで観に行くこともありました。

 
また、大学サッカーというカテゴリーに出会ったのも高校生の頃でした。
 
学生のうちに何らかの形でサッカーに携われたらいいな、と考えていましたが、高校時代の私にとって、レベルの高い学生が集う大学サッカーは、遠い世界の話でした。

 

無事に明治大学への進学が決まり、大学では何をしようかなと迷っていたころ
とある1年生部員が、「サッカー部のマネージャーに興味ない?」と声をかけてくれました。
そのとき、遠く、夢のまた夢のように思っていた世界が、急に近くに感じられました。
高校時代とはまた違うサッカーへの関わり方が見えた瞬間でした。


こうして今、昔とはまた違った充実感を感じながら活動しています。
大変なことも多々ありますが、それをこえるやりがいや楽しさがマネージャーの仕事にはあると思います。

 
これからも努力、学びの姿勢を忘れずに
大好きなサッカーに携わることのできる幸せを噛み締めながら
頑張っていきたいと思っています。



拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

2016年11月23日水曜日

努力の方法

努力の方法 2年 村田航一



 明治大学体育会サッカー部に入部して2年目のシーズンが終わろうとしている。
このチームでいろいろなことを経験し、努力の方法にもいろいろあるということに気づいた。

高校までの私はシュートは打った分だけうまくなると信じていて、全体練習が終わるとひたすら全力で何本もシュート練習をしていた。ダッシュも走った分だけ速くなると信じていて、ひたすらロングダッシュを繰り返していた。


とりあえず、努力とは量をこなした分だけだと信じていた。


しかし今はただやみくもに量をこなしていただけでは本当の意味で向上はしていかないし、
そこに考えて判断する過程が伴っていない限り成長はないと感じている。
以前までの私とは違い自分自身が取り組んでいることが成果として表れないとしたら、それは努力の量が足りないだけでなく、努力の仕方が間違っているからであると考えるようになった。

これは全てに共通することだと思う。

サッカー、体のケア、勉強などいろいろな面において、常に最善の方法は何なのかということを考え続け、試行錯誤を続けていくことが大切なことだと思う。

今シーズンも残りわずか、総理大臣杯とリーグ戦で二冠を達成し、三冠という大きな目標に向かってチャレンジできる立場にあることを当たり前だと思わずに1日1日のトレーニングやトレーニング外の過ごし方も含めて、チームと自分の成長の為に大切にしていきたい。

そして、いつも支えてくれる家族、応援してくれる恩師や友達への感謝の気持ちをピッチの上で表現できるように、最善の努力をしていきたい。





「恩返し~成長~」

「恩返し~成長~」 橋岡 和樹




自分には3人の家族がいる。
父親、母親、そして自分より背の高い弟である。

父親は埼玉の田舎で公務員をしている。
自分が高一のときに脳梗塞で倒れて、今だによく物忘れをすることなどを脳梗塞のせいだ。
などと冗談で言うことが出来てるくらいピンピンしている。

母親はファミレスでパートをしながら主婦をし、土日は父親と共に弟の試合や自分の試合を観に来てくれている。

そして弟は自分が所属していた同じ浦和レッズユースでプレーしている。
知名度の高い弟に対して知名度が低い自分はよく先輩たちに「ダイキっ!!ダイキっ!!(弟の名前)」といじられたりすることが多々ある。笑



こんななんでもない家族に生まれたことを幸せに感じている。明治大学体育会サッカー部に入部出来たのも両親の協力があったからこそである。まずは大学サッカーの舞台で人としてもサッカー選手としても成長し続けている姿を見せつけたい。
それこそが今できる恩返しだと思う。




2016年11月21日月曜日

禍福は糾える縄の如し

禍福は糾える縄の如し 3年 土居柊太


『禍福は糾える縄の如し』これは高校時代の恩師が教えてくれた言葉であり、私が最も大事にしている言葉だ。
幸福と不幸は表裏一体でかわるがわる訪れるものという意味の言葉だ。
しかし私は1日のすべての行いが後の、幸福にも不幸にも繋がっていると捉えている。
毎日の練習も、食事も仲間とのたわいもない会話さえも、目標を達成するその日に繋がっている。だから1つたりとも妥協は許されない。
明治大学にとっても三冠を達成するための途中にすぎない。過去の栄光にすがり、甘さや妥協が出ると目標には届かないだろう。
インカレ優勝、三冠達成。1日1日がその日に繋がっていることを意識し、もう1度チーム全員で喜びを分かち合いたい。お世話になった4年生のために。

環境の変化


「環境の変化」 3年 鳥海晃司






こんにちは。
千葉から来ました鳥海晃司です。

Jの下部組織出身の僕は学校帰りにクラブの練習場まで行き、19時から練習をこなし、夜ご飯やお風呂などクラブで済ませ帰宅は毎日23時過ぎでした。
高校は練習場の近くに通学していた為、朝早くに家を出て通っていました。
授業中は常に眠たくて何度も寝落ちしてしまったのを覚えています。

明治に入学してから今までの僕と全く逆の生活になりました。
明治の練習は朝6時と8時から練習です。
練習が終わってから授業に行き、次の日も朝練の為、早めに寝るようになりました。
今は朝に練習することによって夜は自分の時間が増え、早く寝たり時間をコントロールできるようになり、サッカーだけではなくしっかり勉強にも取り組むことができ、順調に単位も取得できました。

あと3週間でインカレが始まりますが、試合を観てくれている人に感動を与えられるよう、そして3冠を取れるように謙虚にチーム一丸となって闘っていきますので応援よろしくお願いします。
関東リーガーとしての飛躍と学生としての飛躍、文武両道を心掛けていきたいです。

2016年11月18日金曜日

ユニフォーム


「ユニフォーム」



4年 道渕諒平



書きたいことはたくさんありますが、できるだけ短くまとめて記しました。

今シーズンから、明大サッカー部は一つ変化したことがあります。
それはユニフォームのデザインです。
メーカーやデザインが変わっただけではなく、アマチュアチームながら複数のスポンサーがデザインされ、プロチーム顔負けのデザインに変化しました。

しかし、ユニフォームデザインはどんなに変わっても、絶対に変わることのないものがあります。
それは、この紫紺のユニフォームの『重み』です。

明大サッカー部は、代々先輩方の努力や苦労の積み重ねによって作り上げられた組織だと思います。
サッカーに対して、とことん追求でき、高いレベルで取り組めるこの環境、そして関東1部という舞台でプレーし続けられる事は決して簡単な事ではなく、一朝一夕の取り組みで作り上げられるものではないと思います。

だからこそ、この積み上げられた歴史を想像すればするほど、私はこのユニフォームに袖を通す『重み』を強く感じます。
時にはこの『重み』は大きなプレッシャーとなることもあります。
しかし、同時にこのユニフォームを着れることは誇りであり、私達を突き動かす強い力を与えてくれます。

今年、私達はその先輩方が成し遂げたことのない、『3冠』に挑戦します。
『3冠』を必ず取り、このユニフォームの『重み』を更に高め、明治大学体育会サッカー部は更に強くなります。
そして、4年間、紫紺のユニフォームに袖を通し、積み重ねた『重み』と今シーズンの努力の結晶である『3冠』を身体に刻み込み卒業します。

2016年11月17日木曜日

成長のキッカケ


「成長のキッカケ」


1 山口康平

明治大学体育会サッカー部は成長するキッカケの宝庫だ。
寮の環境、サッカーのレベル、積み上げ、継承されてきた歴史と伝統。
それら全てが僕に人間として、サッカー選手として、一流の個になる為にいつ如何なる時もいいキッカケを与え続けている。

初めて寮を見たときの衝撃は一生忘れる事は出来ない。
二段ベッドが8個ギリギリ置けるスペースに16人が身を寄せ合い、個人に与えられたスペースは二段ベッドの一室のみ。
至る所がガムテープや、ダンボールで補強されている。
外から見ると、まさに軍隊並みの生活かもしれない。
だが、いざその環境の中で生活すると僕が抱いたイメージは大きく変わった。
狭いスペースでお互いに思い合って生活し、レイアウトを変えたり、綺麗に出来るところは徹底的に綺麗にしたりと、与えれた環境に嘆くのではなく、ある環境の中で自分達で創意工夫し、主体的に自分達の生活を向上させる精神に溢れていたからだ。

明治大学サッカー部は個人の主体性の強さがとてつもなく高い。
オフの日にも関わらず、筋トレや自主トレに励む者もいるし、毎週木曜日は選手全員でミーティングを開き、試合の振り返りや、現在のサッカー部の改善すべき点、評価できる点などについて本音で徹底的に討論する。
これらは監督やスタッフに強制されているのではない。
学生自らが主体となって明治が勝つ為に行なっている。
それがピッチ上にも影響しているのは言うまでもない。
私生活では思いやりの精神に溢れているが、ピッチ上では厳しい意見が飛び交い、一切の甘えを許さない。
その厳しさは自分が成長したい、チームを強くしたいという思いがあるが故である。

そして何よりいいキッカケを与えてくれるのは先輩達の背中である。
特に明治の歴史と伝統を継承しようとしている四年生の偉大さは計り知れない。
その偉大さは今の僕とはギャップが大きすぎて、今の四年生を超える四年生になれるのだろうかと不安になる程である。
今はその偉大な先輩達に食らいついて、追い越す事が僕が成長する為に一番大切な事だと思っている。

現在、僕はサッカー人生で初となる長期リハビリをしている。
サッカーが出来ずにもどかしい気持ちはあるが、自分と向きあう時間が増えて、大きく成長できるキッカケになっていると確信している。
どんなことも成長のキッカケ。
それを軸にして僕は明治大学での日々を過ごしていく。

今、自分がすべきこと

「今、自分がすべきこと」


1年 中村帆高

こんにちは。
一年の中村帆高です。

私が明治大学体育会サッカー部に入ってから10ヵ月が経った。
入寮してからは毎日が刺激的で、サッカー面でもサッカー外でも学ぶことが多く、すごくあっという間に感じる。
サッカー面では、本当に自分は恵まれた環境でできているんだなと感じる。
寮とグラウンドがものすごく近く、いつでもボールを蹴れる環境がある。
何より一番恵まれているのは、高いレベルの中で毎日サッカーができることだ。
高校時代には味わえなかったスピード感、フィジカルなど色々なことをここでは学ぶことができ、それを吸収することで成長していくことができる。
ミスをすることも、出来ないこともたくさんあるけれど、こういう壁にぶち当たったときこそ一番成長できるチャンスだと思って日々努力していかなければならない。
頑張るとか努力するとかは口では簡単に言えるけど、実際それが一番難しいことなんだと思う。


努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、
それはまだ努力と呼べない。

これは王貞治さんの言葉だ。
この言葉を見たときは色々と考えさせられた。
今までの自分は口先だけの努力だったし、自分に甘い言葉をかけて勝負所で逃げたりした。
今の自分を変えるためにできることは、目の前の一つ一つのことを全力でやるしかない。うまくいかないことがあっても、そのことから逃げないで、一つ一つに全力で向き合うしかない。
そういう強い気持ちをもってやることがこれからの自分に繋がると思う。 

まだ色々と弱い自分だけれども、自分を信じて努力して、最後引退するとき心の底から「4年間やってきてよかった」と思えるように、日々を過ごしていきたいと思う。


短い文章ですが、読んでくださりありがとうございました。

厳しさ

「厳しさ」


1年 中村健人



明治大学で緩いプレーはできない。半端な気持ちでいるとすぐにポジションがなくなる。
一瞬の隙も見せてはいけない。明治大学の練習はそれほど厳しいものだ。

少し前までの自分は、苦手なプレーは誤魔化しながらやっていた。
そのうち自分がどういうプレーヤーなのか、なにが良くてなにが悪いのか、自分のプレーが把握できず課題に取り組むということができなくなっていた。
そのせいで調子が悪い時などに、自分で修正できず時間を無駄にしてしまっていた気がする。

しかし、この厳しい環境でプレーをすることで自分の甘さに気付かされ、今は自分の課題がはっきりとわかる。
少し前までの自分とは全く違う。いまの自分には伸び代がある、そう確信している。
この成長は厳しい環境を作り出している明治大学だからこその成長である。

この恵まれた環境で、サッカーをさせてくれる親への感謝を忘れずに、これからも自分の目標に向かって頑張っていきたい。

2016年11月11日金曜日

日本一


「日本一」


4年 水町政哉


私は夏の総理大臣杯で人生で初めて日本一を経験した。
それは今までに味わったことのない喜びで、別次元の感覚だった。あの時、チーム全員で喜びを分かち合った記憶は今でも鮮明に覚えている。


その時、大好きなサッカーで日本一を成し遂げた喜びはもちろんだが、それよりもこのメンバーで日本一を掴んだことに大きな喜びを感じていた私がいた。1〜3年生の下級生達も私にとって大事な仲間だが、それ以上に同期の存在が大きかった。


そのくらい私は同期が大好きであり、これが一生付き合っていく仲間なんだな。と感じている。

下級生の頃は仕事で毎日ミーティングを行い、時には本音で話す中で喧嘩してしまう時もあった。しかし、ぶつかり合う中でお互いの事を少しずつ理解していくことが出来たと思う。


4年生になるとサッカーでのミーティングが増えた。今年の目標である「3冠」に向けて何度もミーティングを重ねた。チームが上手くいかない時はお互いの熱い気持ちを伝え合った。その度に「このメンバーで3冠を成し遂げたい」という想いが増していった。そして今に至る。


インカレ決勝まで。
12/18までサッカーをやりたい。
そして、もう一度最高の仲間達と大好きなサッカーで日本一を取りたい。


それだけ考えて残り1ヶ月をやり遂げたい。


夏の総理大臣杯
決勝後の集合写真☆

2016年11月7日月曜日

父と母の偉大さ






「父と母の偉大さ」

2年 袴田裕太郎


 
約2年前。

私は18年間過ごした静岡県浜松市を離れサッカー部のある八幡山の地に足を踏み入れた。

高校まで自宅から学校まで通い、両親の支えのもとサッカーをしてきた。
家は6人家族で祖母、父、母、兄、姉がいる。姉は2つ上で優しく、兄は189cmもある長身だ。
父と母は物静かだがいつも応援してくれている。
そんな父と母から東京に旅立つとき言われたことがある。

父からは
「お前の夢叶えてこい。夢を夢で終わらすな。」と
母からは
「怪我しないようにね、勉強も頑張れば大丈夫。」と言われたのを今でも覚えている。

あまり口に出して言われないがすごく応援してくれて期待してくれているんだと強く感じたと共に「絶対やってやる」と心の中で覚悟した。

この18年間いつも家に帰ればご飯があって、洗濯物が畳まれてあって、とそれが当たり前になっていた。

しかし今は違う。

私は20歳になり自立していかなければならない。
物事を自分で決断し責任ある行動をとっていくことが大切だ。

大学に入り2年が経ち、残すもあと2年。

「地道が近道」と学んだように、小さなことの積み重ねにこだわっていきたい。
サッカーをすることができる環境とサッカーをさせてくれている両親に
感謝の気持ちを忘れないで生活していきたい。


そして育ててくれた両親に恩返ししたい。